本書は、大東亜戦争末期、必死必殺の特攻兵器をもって国家の危急を救わんとした殉国の血潮に燃えた青年たちの勇気と自己犠牲の記録である。
日本は昭和十六年十二月八日、自存自衛と大東亜共栄圏の理想を実現するべく、日本を戦争に追い込んだ欧米諸国に立ち向かった。
白人不敗の神話を崩壊させた日本軍は、わずか半年余りで、東南アジア全域を西欧列強の植民地支配から解放した後、東南アジアの各地に独立義勇軍を結成して軍事訓練を施し、敗戦後に展開された「第二次大東亜戦争」とも言うべきアジア諸国の民族解放戦争と民族独立運動に契機を与えていくのである。
だが、開戦以来、武運に恵まれていた日本軍も、米軍の反撃の前に次第に守戦に立たされるようになっていった。
この時、劣勢な戦局を挽回するために、昭和十九年十月二十一日から翌年八月十五日にかけて、フィリピン、硫黄島、沖縄諸島、本土防衛で敵艦船に対する熾烈な特攻攻撃が展開された。だが、戦後の日本では、戦時中の特攻作戦は、それまでの日本軍に前例がなかったことから「特攻を最大の罪悪の一つと見立てて、絶対服従を強要する上司の命令のために、いやいやながら死んでいった若い将兵たち」という誤った見方が生まれ、彼らを哀れな戦争被害者とする風潮があったことは、実に残念なことである。
だが、特攻の真相は決して、そのようなものではなく、戦没海軍飛行予備学生の遺族会理事長杉暁夫氏も、「私達の常識ではとても想像もつかないような完全な“滅私”を神風特攻隊員の一人一人が実践してみせたのである」「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員達の悠久の偉功を決してないがしろにしてはならない」と述べているように、特攻こそは、欧米諸国の植民地化を恐れた、殉国の血潮に燃えた青年たちが劣勢な戦局を挽回するために行った愛国心の発露であり、また実際の戦果も戦後、米軍が公表したものよりも、遥かに大きなものだったのである。
このことは、ビルマ初代首相のバー・モウも、「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」と述べており、また米・英・仏などでも、神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、特攻に対して高い評価を与えているにもかかわらず、「かつて味方であった日本人が味方であった日本人を愚弄したり、揶揄したり、嘲笑している」のが、戦後の日本の特徴であると言ってもいいだろう。
本書は、こうした特攻批判(特攻は命令・強制だった、特攻を美化してはならない)と、戦果の問題(戦果は小さい)に対して、あらゆる証拠をもって反論を展開している。
終戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は、対日占領政策の一環として、日本改造計画(帝国憲法の改正と日本の社会システムの改造、歴史の改竄など)を実施したが、幸いにも日本は、固有の領土のほとんどを保全することができたし、ドイツのように分割占領にもあわず、国体を護持することができたのは、まさに天佑だったと言わねばならないだろう。
著者は、このような天佑神助とも思われる終戦を招来することができたのは、かつて米国の従軍記者、ロバート・シャーロットが、特攻のような「型破りな戦術は、アメリカ海軍に深刻な影響を与えた。なぜならば、アメリカ軍はいまだかつて、このような自己犠牲の光景ほど、ゾッと身の毛のよだつような無気味なものを見たことがなかったからである」と述べているように、まさに神風特攻隊の影響だったと思っている。
別言すれば、戦後六十七年もの長きにわたって、日本が平和を維持することができたのも、日本国憲法第九条のおかげではないし、日米安保体制のおかげだけでもなく、神風特攻隊の脅威が周辺諸国に抑止力となって働いていることにあると思っている。このことは、本書の第二部第一章で述べた連合国軍に与えた特攻隊の物資的、心理的効果を見れば明らかであろう。
ところで、著者は、英国の歴史家H・G・ウェルズが「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」と、大東亜戦争の世界史的な意義を述べているように、大東亜戦争は、戦後のアジア、アフリカに多くの独立国家を生み出す契機を与えた戦争だったと思っている。
だが、戦後の日本人には、当時の日本の国力を遥かに超えたアメリカの指導者をして「太平洋戦争は薄氷を踏む思いで戦った戦争で、幸運と日本の失敗によって勝つことができた」と言わしめた日本軍は、例え戦いに敗れたとはいえ、西欧の植民地支配を崩壊させて世界史の流れを大きく変えた、という誇りが全く欠けているのである。
日本駐在フランス大使を務めた、ポール・クローデル(劇作家、詩人)が昭和十八年の秋に、パリの夜会のスピーチで述べているように、戦前の日本は、外国人から賞賛されるほど尊い国であった。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。
あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にはない。日本の近代における発展、それは大変目覚しいが、不思議ではない。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治に入り欧米の文化を急速に輸入しても発展できたのだ。
どの民族もこれだけ急な発展をするだけの資格はない。しかし、日本にはその資格があるのだ。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格がある。
彼らは貧しい。しかし、高貴である」
だが、現代の日本に、命を賭けてでも護らなければならない価値が果たして存在するだろうか。
数年前から、食品偽装問題、凶悪事件の頻発、社保庁の年金記録の改竄、公務員、教師、政治家の不祥事などが起こり、日本人のモラルの崩壊が叫ばれるようになってきたが、このように頽廃した国を、誰も、一身を捧げてまで護りたいとは思わないだろう。
今年の四月十三日には、再び北朝鮮による弾道ミサイルの発射実験が行われたが、これに対して民主党政府は、頼みのJアラートが鳴らなかったために、ミサイル発射から四十三分も発表が遅れるという、まさに平和ボケ国家の失態を演じて見せた。今回のミサイルの発射実験は、事前に予告されていたものであり、打ち上げが失敗に終わったからいいものの、これがもし、予告なしの核攻撃だったら、地震よりも深刻な事態に陥ったことは明らかである。
こうした対応の悪さは、日本の危機管理能力の未熟さを露呈したものであり、対外的に大きく国益を損なうものである。こうした日本の危機の奥底にあるのは、『「日本人の精神の危機」であることを強く認識』すべきであろう。
では、このような「日本人の精神の危機」を克服するには、どうしたらよいだろうか。
それには、まず日本人が大東亜戦争と神風特攻隊を、単なる戦争であるとか、単なる美談と見るのではなく、かつて日本は西欧列強に対して捨身の一撃を加えてアジアを西欧の植民地支配から解放した国であること、そして日本に天佑神助をもたらした神風特攻隊に対して、もっと大きな自信と誇りを持つことが大切である。
さらに日本人が、このように世界から高く賞賛された大東亜戦争と神風特攻隊の世界史的意義を再評価し、東京裁判がもたらした誤った歴史認識から脱却することが重要である。
もし日本人にそれができたならば、再び日本が国難に直面しても、かつての神風特攻隊員のように、日本を護るために、いつでも死ねる覚悟と勇気を持った者が現れてくるはずである。
今年は、サンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権と独立を回復してから、ちょうど六十年目の年にあたる。このような年に、本書を上梓できるのも、在天の英霊たちの導きによるものと思う。
ここに、謹んで本書を先の大戦で散華した全ての神風特攻隊員に捧げたいと思う。