一九四五年は、朝鮮北部に住んでいた一人の日本人少女にとって、最悪な年だった。
その当時、第二次世界大戦の脅威が日本に迫っていた。前哨隊を朝鮮北部の国境近くに配置しているソ連が、アメリカやイギリスの連合国軍に加わって、いつ日本に宣戦布告してくるか分からなかった。
重大な危機が、すぐ目の前にまで迫っていることも知らず、川嶋擁子は竹林に囲まれた家で何不自由なく幸せに暮らしていた。
擁子の幼い頃の思い出に、父がつがいのカナリアを持ってきたことがあった。鳥かごの前に座っては、長い間カナリアと話をしていた。後にこのことを作文に書いて学校で発表すると、クラスメートたちは笑い出して、「人間が鳥と話なんかできるわけがない」と言った。しかし、その頃、すでに作家になろうと思っていた擁子は、「私はできるし、ちゃんと話をしたのよ」と言い張った。そして、この作文が地方新聞に載ったときは殊の外喜んだ。
しかし、それから数年後に、想像を絶するような現実の真っただ中に陥ることになるなど、擁子は知る由もなかった。――それはあまりにも冷酷で悲惨なものだったので、擁子が大人になってからそれを綴るまでに、多くの時間を要したのである。
ヨーコ・カワシマ・ワトキンズはアメリカ人と結婚し、四人の成人した子供の母親となり、現在ケープ・コッドに住んでいる。英語をマスターし、彼女自身の悪夢の物語を書きあげた努力は、生き残る技を身につけ、幼い頃朝鮮からの脱出時にみせた粘り強さと意志の証明である。彼女曰く――私はどん底のさらにどん底にいたのよ、と。
この本の出版に際し、作家仲間の一人が擁子に、
「これからは、他の作家といろいろな面で、競争をすることになるでしょうね」と言った。しかし、擁子は、いいえ、何のためであろうと誰とも競争するつもりはない、と答えた。
「私は若い頃、生きるか死ぬかの戦いをした。そして私は勝ったのよ」
これは擁子の勝利の物語である。
ジーン・フリッツ
序 ジーン・フリッツ
第一章 擁子の章(一)
深夜に突然の来客。それ以降、私たちの生活が一変した
第二章 擁子の章(二)
羅南駅への道のりも、いつも父を迎えに行くのとは違う気分だった
第三章 擁子の章(三)
赤十字列車を降り、本格的に母子三人の逃避行が始まった
第四章 淑世の章(一)
そのとき兄・淑世は羅南の弾薬工場にいた
第五章 擁子の章(四)
間一髪の危機を脱出し、再び母子三人で京城を目指す
第六章 淑世の章(二)
友人たちと別れ、兄・淑世は一人で京城へ向かっていた
第七章 擁子の章(五)
朝鮮半島を離れ、ようやく祖国・日本にたどり着く
第八章 母の章
母と離れ、女学校での生活はさらに不安なものとなった
第九章 好の章
姉の後悔。そして私たちは、新しい生活の拠点で再スタートを切った
第十章 擁子の章(六)
新年早々現実に直面。そんなとき、私は生活を一変させるきっかけに出会う
第十一章 淑世の章(三)
吹雪の中で力尽きた兄・淑世。彼が求めた灯りの正体は
日本語版刊行に寄せて ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
訳者あとがき 都竹 恵子
この本がアメリカで出版されて二十年経った二〇〇六年の秋、ボストン近辺に住む在米二世韓国人たちが突如怒りを爆発させました。
本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのですが、その内容について、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて、本を教材からはずす運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。
さらに、「著者の父親が七三一部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送った悪者である」といった事実に反することも言い始めました。そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。
本書は、私が十一才のとき、母、姉と朝鮮北部の羅南を脱出したときの体験を書いた自伝的小説に過ぎません。私の意図は、個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのものでした。
どの国でも戦争が起きると、人々は狼狽し、混乱して下劣になりがちですが、その反面、人間の良さをも引き出させることがあります。私はこの物語の中で、自分たちの身の危険もいとわずに兄の命を助けて保護してくれた朝鮮人家族の事を語っています。これは「親切さ」についての一つの例えですが、彼ら以外にも親切にしてくれた多くの朝鮮人たちがいました。
羅南から釜山、日本の福岡へと帰ってきた少女時代の経験は、戦争とは恐怖そのもので、勝負はなく互いに「負け」という赤信号なのだということを私に教えてくれました。私はそのことを本書を通して地球上の全ての子供たちに伝えたい――それだけが私の願いです。
子供時代の思い出である故、歴史家から見れば、いたる所に間違いもあるでしょう。その点はお許しください。
本書を通して世界中の人々が、真の平和の中に生きて行く事を祈ってやみません。