本書のテーマは「韓国人」と「性=セックス」についてである。
私のセックスに関する考え方の原点は、一九五〇年に起きた朝鮮戦争での体験である。当時私は十歳であった。
朝鮮戦争で国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使のような軍と思われていた。しかし私の故郷である村で、韓国民にとって味方であるはずの国連軍によって行われた婦女暴行は凄惨を極めた。
戦時下において人間は、かくも凶暴な存在となり得るのか。これらの性暴行がどのくらい広い範囲で行われたか、今となっては確かめようがない。
儒教的な倫理観が強いその村では、それまで売春婦を置くことなど許されなかったが、戦争という不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦を認めざるを得なかったのである。
これが、慰安婦問題を論じる上で、日韓両国そして国際社会が避けて通れない「米軍慰安婦」の成り立ちである。しかし、それについて韓国国内で論じることは長きにわたってタブーとされた。
私は呉善花氏と対談した本『これでは困る韓国』の中で、国連軍によって私の故郷の村が恐ろしい性暴力を受け、それを防衛するために売春村になったことを語った。
この問題設定に対し、韓国国内から肯定的な反応は全くなかったどころか、韓国のテレビ局などから、容赦のないバッシングを受けることとなった。
韓国社会は激しく変化しながらも、なお儒教的性倫理、貞操観が強く保たれている。
それは現在の韓国の政治状況に大きな影響を与えており、具体的には戦後の韓国政府の政治的セックス政策がそれにあたる。
否、影響を受けているというよりもむしろ、韓国政府は常にセックスや性倫理を政治に利用しており、今問題になっている慰安婦問題もそのような類に過ぎない。
本書で大きく取り扱っている米軍の慰安婦やいわゆる日本軍慰安婦の話題は、歴史的に遡ることができる。それは今突然現れたとか、日韓関係によって生じたものではなく、韓国の伝統的なものに過ぎないと思える。
本書は、このように性と政治が深く関わっている韓国社会を理解するために、書き下ろしたものである。