◆現代でも通用する地政学の英知
地図と年表は、戦略的思考に不可欠である。地図を機能的に活用することによって、現在、自分がどういう地理的状況にいるかを、正確に認識することができる。地図と並ぶもう1つの有効な状況判断の道具が歴史年表であり、年表により自分の歴史的状況を把握することができる。つまり、現在の地理的状況判断は地図を道具として行い、歴史上の状況判断は年表を道具として行うということだ。地図は空間を、年表は時間を戦略的に思考するための最良の道具である。
地図といえば、どんな地図帳の最初のページにも「メルカトルの世界地図」というものが載っているが、これが、私たちが今生きている世界を表していると思ったら大間違いである(ちなみにメルカトル[Mercator]の英語読みはマーケイターである)。確かに、球体の地球を平面図にし、1枚の紙の上に表したオランダ人のメルカトル[Gerardus Mercator](1512〜1594)は天才ではあった。しかしその世界地図は、いったい何を表しているであろうか?
中世のヨーロッパ人がもっていた世界地図は、ヨーロッパ以外には獣頭あるいは双頭の人間の国が存在するというような、幻想的なものでしかなかった。メルカトルの時代の地図は、なにより世界の形をより正確に表すことが第一義であった。
そもそもこの時代に、地球を1枚の平面図にして把握しようとしたヨーロッパ人の発想はすごい。そしてその動機は、世界を植民地支配せんとする征服欲であったに違いない。しかし、現在は、情報技術革命により世界は確実に小さくなり、主権国家の境界線の持つ意味は、経済のボーダーレス化のために、まったく変化している。さらに、インターネットの発達により、現実の世界以外にもう1つのヴァーチャル世界、電脳空間も存在しているのだ。
つまり、こういう時代には、こういう世界を読み解くための別の地図が必要であろうし、別の地図の読み方も必要であろう。しかし、古典的な地政学の英知というものは、現代でも十分に通用すると筆者は考えている。
◆「地政学」とはどういう学問なのか
そもそも地政学というのはどういう学問なのか。それは「地理学×軍事学」といっていい。わかりやすく言えば、地図を戦略的に見る見方である。それを現代の世界あるいは歴史的事象に例をとって、「地政学的発想ではこういう風に考える」「こういう風に地図を見る」あるいは「地図をこういう風にデフォルメして、戦略的に活かす」という実例をこの本でみなさんに紹介したい。
自分の位置を確定する手段として、時間軸と空間軸がある。時間軸的に言うと、過去に起きた大きな出来事を年表にしてみると自分の立ち位置がわかる。それは100年単位でもいいし、数ヶ月単位でも構わない。時系列で物事を見ると、何が起きているのかがよくわかる。
筆者は、毎月2回会員制の情報誌を発行しているが、ニュースをまず時系列で並べてみて、よく考えてみる。するとぜんぜん関係のない地域の出来事が、実は関連して動いているということがわかってくる。たとえばアメリカならアメリカだけで起きたことをずらーっと並べて見ていてもダメだ。世界中で何が起きたか、たとえば今日、この日に世界中で何が起きたか、ということを見ると、意外に地理的に離れた出来事が連動していることがある。ある地域で起きた出来事に対しての別の地域での反応が、アメリカに表れ、メキシコに表れ、シリアに表れ……などということがよくある。
それからもうひとつ、空間軸についてはは当然だが、我々は空間の中にいるわけだから、自分の位置を確定するために地図を見るのである。
地図や年表というのは基本的には、「自分がいる時間と場所を確かめる」、正確にいえば「時刻と場所を確かめる」基本的な道具である。
地図というのは非常に初歩的なものに見えて、実は非常に大事なものである。とくに国際政治、軍事を考える場合には地図は非常に重要である。地図をどういう風に戦略的に見るか。そこからどういう風に戦いに勝つかを割り出していく。これが地政学だ、と言ってもいいだろう。
◆「地図の読み方」を知らない日本人
筆者は国際関係論、地政学を勉強し、その後評論活動をしながら、企業や個人などに情報分析・予測を提供する仕事をしてきた。そんななかで、世界各国の学者、政治家、企業家たちと、これまで数多く接触してきたが、そういう現場で意見が合わないとき必ず感じたのが、「彼らの見ている世界地図はわれわれ日本人の見ている地図とは違う」ということだった。「世界観」、すなわち、彼らの頭のなかにあるであろう「世界地図」が、われわれのものとは違うのである。
たとえば、イギリスは日本と同じ島国であり、ともに海洋国家としてかつて帝国を築いた歴史があるから、日本人はイギリス人に大変な親近感を抱いている。しかし、彼らイギリス人にとって、日本は彼らの地図の右端に位置する「ファー・イースト」(はるか東の果て=極東)なのであり、それ以外の存在ではない。
かつてある在日のイギリス人ビジネスマンと話をしていたときのことだ。この、どう見ても日本嫌いのイギリス人に、筆者はこう言った。「かつて日英同盟というものが存在した。100年前、日英両国は同盟国だった」。そのイギリス人は「くそっ」とのたまわって、筆者の発言を一切無視したものだ。偉大なる大英帝国がこんな極東の島国と同盟関係にあったことなど、国の恥だと言わんばかりだった。
イギリスの作家キップリング[Rudyard Kipling](1865〜1936)の有名な言葉「東は東、西は西。両者は出会うことあらず」が、この感覚をよく表している。イギリスの当時の帝国主義者の冷徹な視点は、私たち、今の日本人にはないものである。
そして、今世界で唯一の超大国であり、世界覇権を握っているアメリカは、世界をどう見ているのであろうか? 彼らの頭のなかにある「世界地図」はどんなものであろうか? それが、私たち日本人の頭のなかにある「世界地図」とはまったく違ったものであるのは、言うまでもないだろう。
外交でもビジネスでも、まず仮に相手の視点に立ってものごとを見てみる。そうすると相手の長所や短所、そして世界観がわかる。それを自分たちに有利に利用しようとするところから、独自の戦略が生まれるのである。“相手の立場に立って考える”だけではお人好しのバカで終わってしまう。そうではなくて、それをもう一度、自分の立場にとって返し、戦略的に利用することこそが大事なのである。
◆混沌とした時代を自信を持って生き抜くための知恵
もうおわかりいただけたと思うが、本書中の地図はそうした別の視点からの戦略的地図である。地図を戦略的に見るところから生まれた学問が地政学(ジェオポリティクス)である。本書では、ごく初歩的な地政学的なものの見方を導入している。
地政学的発想の切れ味、有効性を証明する一例を挙げてみたい。日本が第二次世界大戦に敗れた理由は何か? という問いの答えを考えてみよう。
常識的な答えは「軍国主義者の無謀な国策が原因」というものだ。これは「日本は侵略国で悪い国」という東京裁判史観から導き出される解答である。こういう自虐的な解答からは、国益を推進する外交は生まれてこないし、それでは北朝鮮による拉致被害者を救い出すことは永遠に不可能である。これはまったく後ろ向きの発想だ。
しかし、地政学者だったら、敗戦の理由をたとえば、こう答える。
「第1に、本来海洋国家である日本が、シナ大陸の内乱に過剰介入し、国力を浪費し、さらにアメリカとの戦争に突入してしまったこと。第2に当時の世界の3大シー・パワーは日英米の3国であったが、日本が孤立化して、英米の2大シー・パワーを連合させてしまい、これで圧倒的に不利な2正面作戦を強いられたこと。さらに、大陸国家ドイツや半島国家イタリアとの同盟は、日本とヨーロッパの間の距離的隔たりもあり、英米の2大シー・パワー連合と戦う際には、ほとんど役に立たなかったこと」
地政学的発想からはこのように、「今後の国家戦略をどうしたらよいか」という前向きの教訓が得られる。
この視点・発想で現在の日本を眺めると、第1に、今でも、チャイナへの経済的過剰介入は、シー・パワー日本にとって極めて危険だ、ということに思いいたるはずである(たとえそれがアメリカとの対立は生まないにしろ)。
また、シー・パワーであるアメリカとの連合はどうしても必要かつ自然なものであり、海洋アジア諸国(台湾からインドネシアにいたる)との連携もシー・パワー日本にとって必要でもあり、また国益の推進にもかなっている、ということがわかるだろう。
本書は筆者が2003年に上梓した『「世界地図」の切り取り方』(光文社)の前半部分を改訂・加筆したもので、新しい地図やチャートも複数加えてある。
この混沌とした時代を、日本人が自信をもって生き抜くために、本書が少しでもお役に立てば幸いである。