私は約半世紀にわたって、ここ日本国で生活し、その過程では多くの人にお世話になり、また、素晴らしい日本社会の道徳、倫理、伝統的価値観から、深く学ばせていただいてきた。
しかし、同時に、その素晴らしい日本社会を、日本人自身の手で破壊しようとする傾向も、特に八〇年代以後に見えてきたようにも思う。
その結果、今の日本社会は、本来日本が持っていた公共性や道徳、また価値基準を失いつつある。
かつて日本には、社会のさまざまな対立や矛盾を、法律や金銭ではなく、お互いの対話を通じた相互理解で解決するべきだという精神、日本のことわざで言えば「罪を憎んで人を憎まず」という心があった。だからこそ「裁判沙汰」という言葉は決していい意味で使われていたのではなかった。しかし、今や、個人も組織も、ときには言論機関さえも、自分の正しさを裁判や法律にゆだねてしまう傾向が出てきた。昨(平成二九)年一二月に、NHKの受信料についての最高裁判決が下され、受信料支払いは義務であることが確定したとのことだが、NHKの放送内容がそれにふさわしいものであるかどうかについての真摯な議論は、そこにはなかった。
多くの外国人が尊敬し、うらやむ日本社会の秩序や倫理は、決して法律や警察、そして裁判といった外的なある種の圧力で保たれてきたのではなかった。そこには、伝統によって立つ社会の道徳や倫理があった。それが「自由」「個性」「プライバシー」そして「国際化」といった掛け声のもと、どんどん破壊されていったのが、八〇年以後の日本の潮流だった。
しかし、その流れは本当に日本社会を自由な、開かれたものにしていったかと言えば、そうではなく、逆に、どんどん伝統的な価値観を喪失し、国際的には閉じた、閉塞した社会にしていったのではないだろうか。最近のマスコミの報道を見る限り、取り上げられている問題の多くは、相撲界のことであれ、政治家のスキャンダルであれ、確かに法的には問題があるのかもしれないが、いずれも私から見れば些末な、今の日本が正面から取り組むべき問題とは、とても思えないものが多い。今、北朝鮮情勢が緊迫し、中国が覇権主義を強め、かつアメリカがやや内向きになりつつある中、果たして、今マスコミをにぎわす多くの記事が、まず第一に日本国民に知らせるべきものなのだろうか。
そして、国際社会についての報道内容にも疑問がある。多くの報道によれば、日本政府は中国が現在主導している「一帯一路」政策を支持する方向だという。祖国チベットを中国に奪われた私から見れば、この政策は、中国の世界制覇、中華思想の野望を如実に示したものであって、単なる経済政策ではない。現在の安倍政権を批判し、時には非民主的だとすら決めつけている新聞社までが、なぜ、中国という巨大な独裁体制に追従しかねない日本の姿勢を何ら批判しないのか、私には理解しかねる。これまでも日本は「日中友好」の美名のもとに、経済支援によって独裁国家・中国を強大にしてしまった。私は、ふたたび同じ過ちをこの日本に犯してほしくはないのだ。
また、かつて、富の再分配による実質的な福祉国家を実現していたはずの日本社会は、今は声の大きな、組織に属する人たちの権利のみが守られ、声なき社会的弱者たちには冷淡な社会になりつつある。聞くところによれば、高齢者はたとえ一定の資力があっても単独ではアパートを借りることも難しくなり、まるで社会のお荷物や、ひどい場合は貯金を抱えた特権者のように語られることすらあるという。この本で私は、来日した一九六〇年代に私を温かく迎え、育ててくださった日本の方々に深い感謝と御礼を記している。彼らの世代が今、社会のお荷物のように扱われていることは、私にはどうしても納得がいかない。
一九六〇年代の日本では、戦争を体験していた大人たちに、大東亜戦争の敗戦から立ち直り、日本をもう一度立て直そうという気概があった。私はこの人たちの温かい支援を受け、日本の歴史への誇りや、アジアの歴史への公正な歴史観を学んだ。そして、学生や若い人たちの中には、当時の時代の影響を受けて、ベトナム反戦や、共産主義革命の情熱に燃えた人たちもいた。私は、実際の中国共産党支配を知っている人間として、彼らの、特に共産主義に対する現実認識の甘さには批判的だった。しかし同時に、世の中について、政治について、彼らなりの理想を持ち真摯に行動しようとする姿勢は、決して理解できなかったわけではない。そこには、それぞれの理想も正義もあった。
私は今こそ、ここ数十年で日本が失ってきた道徳、倫理、伝統、そして正義と価値観を取り戻すべきときに来ていると信じている。本書は何よりも、その私の思いと、私を支えてくれた人たちと時代への感謝の念によって書かれたものだ。そして今、中国や北朝鮮の脅威を通じて、国際社会の厳しい現実に気づくとともに、アジアにこのような事態をもたらした、戦後の歴史観全体をもう一度見直す中で、近現代史における日本の役割を再認識し、さらに未来につなげていこうとする動きが、特に若い世代を中心に起きてきていることに期待している。
日本は本来、国際社会において、正しい立場で、平和の実現と、それぞれの地域の伝統に沿った形での秩序ある民主化、そして各民族の自決権の確立に向けて、貢献できるだけの国力を持つ国である。それは、過去の日本の歴史が証明していることであり、未来の日本も再びこの役割を果たすことができるはずだ。それは同時に、日本国内において、全ての国民が、衣食住、そして医療における恩恵を十分に受けるような社会の実現にもつながっていく。それが、高度な倫理観を持った日本社会の確立と、伝統に根差した日本国の復興である。私はチベットに生まれ、今は日本の国籍を持つ人間として、そのことを心から祈っている。