日本と世界を騙しに騙した中共の正体

支那事変から武漢肺炎まで

落合 道夫 著 2020.07.15 発行
ISBN 978-4-8024-0098-5 C0021 四六並製 232ページ 定価 1540円(本体 1400円)

はじめに より抜粋

日本と世界を騙しに騙した中共の正体 支那事変から武漢肺炎まで

今、世界は中共武漢発の新型コロナウイルスの伝染で大きな混乱が拡がっている。多くの人命の損失に加えて世界中で生産活動が止まり、その損害はどれほどになるか全く想像もつかない状況だ。しかし中共政府はこの感染の原発地の武漢の管理責任があるのに、ウイルスの生成の場所が不明だとか、米国から持ち込まれた可能性があるなどと強弁し謝らない。この無責任ぶりは、常に中共から歴史を鑑にしろと非難され贖罪意識を強制させられてきた日本人にとっては実に腹立たしい限りだ。また、肝心の歴代日本政府が中共の歴史非難に反論もせず弱腰なのも大いに不満だ。

このように中共が日本を敵視し上から目線でいるのは、なぜなのか。日本人が近代史を知らないからではないか。それは支那事変と中共の正体だ。日本人は歴史の真実を知らず騙されてきたのではないか。

日本では支那事変はいまだに原因が分かっていないとされている。盧溝橋の謎の一発で始まったというが、近代戦は巨大な補給戦だ。やくざの出入りではない。その後、確かに日本は支那の広大な地域を占領したが、もともといつまでも占領を続けようとしたわけではない。必死に撤退しようとした。それなのに、撤退を妨害したのは蒋介石のほうだった。しかし現代日本人は事情を知らず、日本軍が中国大陸を占領したから悪いと短絡的に思っているのではないか。

支那事変とは、日本政府が逃げ遅れた居留民保護のために上海に出兵したところ、足止めされ、泥沼の国共内戦に引きずり込まれて帰れなくなったというのが実態だ。だから支那事変は「もらい事故」であり、日本のほうが被害者なのだ。

戦後の有名な挿話を紹介しよう。一九六四年、日本社会党の訪中団が毛沢東と会談し、支那事変について毛沢東に謝ると、毛沢東は「共産党が国民党軍を破り政権を取れたのは日本軍のおかげです」と逆にお礼を言ったのである。しかし訪中団は支那事変の実態を知らなかったので、ポカンとして毛沢東の言葉の意味が理解できなかった。実はこの戦争では日本は四十五万人もの前途ある青年を殺され、莫大な資産を失い最後には三百万人もの日本人が米軍のおかげで命からがら大陸から脱出したのである。毛沢東の好きな格言は「馬鹿は大石を持ち上げて自分の脚の上に落とす」であったという。馬鹿が誰かは言うまでもない。

日本を圧迫している中華人民共和国(中共)とは何者なのか。(中共は中国共産党の略称だが、日本では一九七一年頃までは中華人民共和国の略称でもあった)。中共は徹底した秘密主義と偽情報で長いあいだ正体が分からなかったが、毛沢東の死後、経済開放による人と情報の交流と特にSNSの普及によりだいぶ様子が分かってきた。社会主義国というが社会は平等どころか差別だらけだ。幹部と家族は世界的な大金持ちだ。そして国民に参政権がない。このため民主化を求めるデモが各地で起きている。特に今回の武漢肺炎事件の対応の不誠実性で中共政権の化けの皮が一挙に剥がれたのではないか。米国の歴史学者E・ルトワックは産経新聞の記者に「この事件は中国が虚言の国であることを白日の下にさらした」と述べている。そして中共を作った毛沢東とは何者なのか。

自由中国人の苗剣秋氏は、戦後の日本人は自国を過小評価し中共を過大評価していると忠告している。そこでこの誤解の原因となっている支那事変と中共を新しい資料や考え方で分析し見直すことにしたい。




目次

 はじめに

第一章 新しい歴史観
 第一節 支那事変の正体
 第二節 プロパガンダ対策
 第三節 共産主義の理解

第二章 戦前の日本の大陸政策
 第一節 対ロシア防衛
 第二節 近衛文麿首相
 第三節 満洲問題
 第四節 満洲国建国の生み出した三つの難問

第三章 一九三〇年代の中国
 第一節 大混乱の始まり
 第二節 国民党
 第三節 ソ連の中国介入

第四章 戦前の中国共産党
 第一節 共産党の発足と毛沢東の参加
 第二節 毛沢東
 第三節 中国の暴動の思想と戦略
 第四節 ソ連派指導部の失敗
 第五節 毛沢東の農村破壊
 第六節 長征と毛沢東の共産党乗っ取り

第五章 欧州情勢とスターリン
 第一節 ヒトラーの極東戦略とスターリンの対策
 第二節 落下傘降下するスターリンの密使

第六章 西安事件、対日挑発、奇襲攻撃
 第一節 西安事件の顛末
 第二節 対日戦争準備
 第三節 挑発攻撃の開始
 第四節 蒋介石の上海租界奇襲

第七章 日本政府の選択と出兵
 第一節 撤退か出兵か
 第二節 見落とされた重大情報
 第三節 運命の出兵と日本の破滅へ

第八章 戦闘
 第一節 上海上陸作戦
 第二節 第二の失敗、制令線突破と南京追撃
 第三節 南京戦の真実

第九章 日本の講和努力
 第一節 日本の講和方針
 第二節 米国の仲介拒否とトラウトマン工作

第十章 汪兆銘工作の成功
 第一節 汪工作
 第二節 支配地域の振興
 第三節 進退極まった日本軍

第十一章 各国の支那事変戦略
 第一節 ソ連の戦略
 第二節 蒋介石の戦略
 第三節 毛沢東の対日戦略
 第四節 米国の極東政策

第十二章 日本の敗戦
 第一節 終戦の詔勅
 第二節 辻政信大佐の奇跡の脱出

第十三章 満州の悲劇と邦人シベリヤ抑留
 第一節 ソ連侵略
 第二節 強制労働
 第三節 抑留者の帰国

第十四章 日本の戦後
 第一節 国内状況
 第二節 国際状況
 第三節 日本再独立

第十五章 支那事変のまとめ
 第一節 日本人の反省
 第二節 英霊顕彰と慰霊

第十六章 第二次国共内戦と中共勝利の謎
 第一節 中共勝利の原因
 第二節 中共の時代区分と対日敵対性

第十七章 毛沢東第一革命期
 第一節 中共の建国
 第二節 毛沢東の生い立ちと学生時代の予言
 第三節 政治活動
 第四節 共産党幹部
 第五節 中共革命は易姓革命か

第十八章 国民総監視体制
 第一節 国民掌握
 第二節 恐怖統治
 第三節 集団処刑

第十九章 中ソ関係の変遷

第二十章 大躍進政策の起こした大飢餓
 第一節 動機論
 第二節 三面紅旗政策
 第三節 飢餓の大被害

第二十一章 毛沢東第二革命期(一九六六〜七六年)
 第一節 奪権準備期
 第二節 教育界の闘争勃発
 第三節 党内闘争の拡大
 第四節 一般社会の破壊混乱
 第五節 軍隊の内戦発生と毛沢東の方針転換
 第六節 文革の終焉
 第七節 四人組の独裁
 第八節 ニクソン訪中
 第九節 毛沢東と周恩来の死

第二十二章 鄧小平の資本主義革命(経済の改革開放)
 第一節 鄧小平とは
 第二節 鄧小平の資本主義革命

第二十三章 現代の習近平時代と課題
 第一節 習近平とは
 第二節 中共経済の基本構造
 第三節 現代中共の諸問題
 第四節 国際問題

第二十四章 日本の対中対応
 第一節 対日「笑裡蔵刀」の策
 第二節 日中民族性の違い
 第三節 中共の対皇室・靖国工作
 第四節 日本の国防実現の方法論

 まとめ─あとがきに代えて

 

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