本書は、縄文末期から大和に王権が成立するまでの時代について、これまでとはまったく異なる方法で得た情報を基にして解明している。その方法とは、高次意識存在との交信である。特にトートと呼ばれる存在との交信である。
と書くと、引いてしまう人も多いと思う。
ただ、これは、邪馬台国やそれ以前の時代にはごく一般的な方法だった。巫女やシャーマンが神がかりになってご神託を受け取るのである。そういう時代を推論するのであるから、その時代の方法をとってもいいのではないだろうか。
重要な点は、得られた情報をどう使うかだと思う。とるに足らないものとして、捨て去るか、あるいは、内容如何によっては検討の価値ありと見なすか。その辺は、読者の皆さんにお任せするしかないだろう。
ひとつの仮説として読んでいただければと思う。
本書はこれまでわからなかった以下のことがらに対する答えを提供する。
(1)邪馬台国はどこにあったか
(2)卑弥呼はだれか、ヤマトトトヒモモソヒメとの関係は?
(3)箸墓古墳は誰の墓か
(4)アマテラス族(後に天皇家になる氏族)はどこから来たか
(5)ヤマト王権はいかにして作られたか
(6)ニギハヤヒは古代の大王だったのか
(7)『先代旧事本紀』に書かれたニギハヤヒの話は本当か
(8)物部氏とヤマト王権の関係は?
(9)天照大神は初めから皇祖だったのか
(10)どういう経緯で伊勢に天照大神を祀ることになったのか
(11)伊勢神宮には天照大神を祀る内宮と豊受大神を祀る外宮があるのはなぜか
こういった疑問に対する答えを提供するだけでなく、本書を読んでいくと、最終的に天皇家と物部氏に隠された謎があることが明らかになる。
それについてはお読みになってのお楽しみとしておきたい。
本書を執筆することでわかってきたことは、ヤマト王権が確立されていく過程についての歴史が、『古事記』や『日本書紀』によって誤って伝えられていることである。
また、その過程で多くの人が恨みを持ったまま死んだこと、そして、その祟りを恐れる権力者たちによって封印されてきたということである。その封印の儀式はいまだに執り行なわれているのだ。
これは何も遠い過去に起こった話として捨て置いていい話ではない。この封印された人たちにとっては今なお現実であり、彼らの持つ恐れや恨みというネガティブな感情のエネルギーは、日本のアセンションにとって大きな重石になっている。
今、重要なことは、隠された古代史を明らかにし、今なお執り行なわれる封印の儀式をやめ、閉じ込められている多くの人たちを解き放つことである。
そうすることが、日本のアセンションにとって急務であると思う。
さらに言えば、こういうことを通して、日本人が本来持っていた、自然と共に生き、自然の中に神を見るという生き方を取り戻すこと、それが今、一 番急がれていると思う。
実はそういう生き方は、日本人の心の底に今も脈々と息づいている。それこそがアセンション後の生き方であり、それを示すこ とが日本人の役割ではないだろうか。