「透明な存在」
みなさん、この言葉覚えていますか? 一九九七年(平成九年)二月から五月に起きた神戸連続児童殺傷事件で、犯人の男子中学生(14歳)が犯行声明文として神戸新聞社に送り、自身をこのように表現したのです。そして彼は、殺人する自分を「酒鬼薔薇聖斗」という魔物の名を使い、別人格として気持ちを「楽」にしていたと鑑定では述べています。その当時、「透明な存在」という言葉は、人と人の関係が希薄化する中で自分や他人の命の実感がつかめないという思春期の子どもたちの心と重なって、新聞やテレビなどでも大々的に取り上げられ、時代のキーワードにもなりました。私の相談室に訪れる親御さんは、そうした風潮もあってか、
「わが子は大丈夫か」
「わが子が被害者にならないようにするには、どうしたらよいのか」
といった不安を訴えていました。当然ですね。わが子が被害者にならないようにするための知恵や方法、対策を教えてほしい、というわけです。それは親子のつながりを深めることで存在としての自己肯定感を高めることにありました。
その後も青少年犯罪は、急激に増えることはないにしても起こりつづけて、陰惨で「猟奇的」になっているのです。またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でのやり取りが同年代の仲間同士の交遊で広がり、そのトラブルから歯止めがきかない事件も続いています。
さらに、ごく「普通の子」が「野宿」などといって深夜“徘徊”から事件に巻き込まれていく事件もあります。「低年齢」化も気になります。
子どもたち総体として「透明な存在」化が進み、命への共感性がない中で「人を殺したらどうなるか」という自分勝手な動機で残忍な犯罪を起こしたり、心のつながりを家族間に実感できずに、命の危機を見抜けない行動をしていたりするのです。
そして、二〇一五年二月。昨年の佐世保高一女子生徒殺害につづいて、今度は川崎中一殺害事件がむごたらしい形で起こりました。しばらくすると、被害者、加害者の少年たちの親がともに「仕事」に忙しく、子どもの日常に目が行き届かないという子育て環境にあったことが分かってきました。
殺害された中一男子の母親もこんなコメントをマスコミに出しました。
「息子が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、息子が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした」
働く母親たちから経済的貧困ばかりでなく「時間貧困」にもなっているとの共感の声が多数寄せられたようです。「仕事」優先のなかで、子どもとの関係が「透明な存在」になり、わが子の心の変化に関心がなくなり、SOSの声を聴くセンスさえ失っているのです。さらに、家族全体がバラバラになっていることさえ気づかずに、それぞれが自分中心の「私事化」の生活になっているのです。すると、私の耳に入ってくる親の不安のつぶやきが神戸事件のときと変わってきました。
「うちの子は加害者にならないでしょうか」
「加害者の親にならないために、どうしたらいいのですか」
心情的には差異はないと思いますが、わが子が「加害者」になることも身近になったのです。そして親の心のどこかに、自分自身の「子育て責任」を問われないかと案じ悩むことが優先的になっているのです。
「加害者」「被害者」にさせない方法は、言うまでもなく、まず第一義的に親やまわりの大人にあります。だから「透明な存在」としての親子関係に代わって子どもの自己肯定感を高めてくれる“教育行政サービス”を親以外の場にさがし求めていたりするのです。しかし子どもが「被害者」「加害者」になる表裏一体の子育て環境の中で、自らの命の危機を回避できるのは、上下の瞼を閉じたその一瞬に面影として母や父や家族、また信頼を寄せる大人が浮かんでくることです。
「瞼の母」「瞼の父」「瞼の先生」がいるかどうかです。そのためには親や先生が日頃から子どもの声なき声を聴けるだけの手間かけた関係を築いているかにかかってくるのです。
子育ての原点に還りたいと思います。
それが本著の願いです。
※第1章は、『心のサインを見逃すな』(ハート出版 平成9年刊)に加筆・修正したものです。
プロローグ
みなさん、覚えていますか?
わが子がなぜ…、という親の嘆き
・「いい子」が加害者、被害者になりやすいのは……
・問題が何もないことが問題
・「いい子」も「したたか」になる
・「加害者の親にならないために」という相談から……
第1章◆わが子を犯罪の「被害者」にも「加害者」にもさせない50話
1・他人に迷惑をかけないように、ときに叩いて躾をしてきました
2・子どもの独立心を養うために、個室を与えたが部屋に入れてくれなくなった
3・子どもの体が弱かったので、いろいろと先回りして心配し、過保護にした
4・弱い体を強くしようと思って、子どもに「頑張れ」を連呼し、厳しくしました
5・親の身勝手な葛藤を、ついつい子どもにぶつけてしまいました
6・他の子に手がかかり、この子を放っておいたので
7・私が神経質なので、子どもに注意をしすぎ、子がこだわる性格になった
8・子どもが小さいときに私が入院。そのときの子どもの不安がいま
9・何事も家族で話し合い、とことん議論をたたかわせています
10・生活を贅沢にして、耐えることを教えていません
11・子どもの前では決して、夫婦ゲンカをしないように努力しています
12・「一生がダメになるぞ」と脅かすような言い方で、子どもを諭していました
13・いじめられて泣いて帰る子を、歯がゆくて叱っていました
14・子どもの友人関係で「あの子とは付き合わないほうがいい」と言いました
15・何をするにも遅いので、ついつい手や口を出してしまうことが多いのです
16・夫の存在が薄かったので『父親』の役割ばかりをしていました
17・読書は人を育てると思い、好きでもない本を子どもに強引に読ませています
18・よく泣く子だったので、わがままで泣いていると思い、放っておきました
19・夫婦の時間も大切と思い、子を寝かしつけてからダンス教室に通っていました
20・子どもに「みんな頑張っているんだよ」と口癖のように言っています
21・私のキャリアを生かしたくて、子どもを保育園にあずけて、働きに出ました
22・いけないとわかっていても、子どもを感情的に叱るのをとめられなかった
23・とにかく静かで、穏やかで「平和な家庭」でした
24・夫の気分にむらがあり、怒らせないように母子で息をひそめてきました
25・隣近所の目が気になり、家庭内のいざこざを聞かれないように雨戸を閉めます
26・子どもと遊んでも、理屈が先行し、子どもをうなずかせてばかりいます
27・子どもらしい質問が「バカな質問」「低次元の考え」と思えてしまうのです
28・眠れないほど心配することが多く、子どものことまで気持ちがいきません
29・自分が母親に甘えられなかったので、子どもをどう甘えさせていいか
30・自分が人付き合いが苦手だったので、子どもに友だちをつくってあげられない
31・姑が子どもを異常に甘やかすが、面倒を見てもらっている手前、何も言えない
32・姑が子どもに親の悪口を言うので息子は親の言うことを聞かなくなった
33・「わが子かわいさ」の落とし穴に気がつきませんでした
34・子どもの部屋には、決して入らないようにしています
35・妹が誕生してから「お兄ちゃんでしょ。がまんしなさい」が口癖に
36・誕生したわが子を近所の人や実家の父に抱かれると、とても不安でした
37・嫌なことがあっても、子どもの前では絶対に笑顔をつくっています
38・子どもは笑うものと信じていました。あやしても笑わないわが子が憎らしい
39・呑み込みが悪く、親の思い通りにならないわが子を、つい叩いてしまいます
40・手のかからない子どもであることに、何の疑問ももっていません
41・門限もなく、必要に応じて小遣いもあげている。いい親を心がけている
42・外から帰っていろいろ言う子どもの話に、忙しくて聴くことをしていません
43・ふざける子どもを近所の手前もあって叱ったら、おとなしい性格になりました
44・聞き分けのいい、明るい子で、期待をかけていろいろな習い事をさせています
45・自己主張の強いわが子ですので、将来を思ってずいぶんと抑えています
46・下の子が産まれたら、急に聞き分けのいい子になり、安心して喜んでいます
47・親の責任と思い、学校のできごとを根堀り葉堀り、聞くようにしています
48・子どもは勉強と遊びが仕事。家事の手伝いは極力させないようにしています
49・ケンカをすれば両方傷つく。わが子にはケンカだけはさせない
50・子どもは天真爛漫であるはず。わが子に笑顔がないので悩んでいます
補足・神戸連続児童殺傷事件「家裁審判決定」一部抜粋
第2章◆親殺し≠ェ少年の心に生まれる理由
親殺し≠ヘ「つながり方」を踏み間違えた「家族回帰」への願い
親殺し≠ニ無縁でいられる人は一人もいない
殺意の前には必ず自殺念慮が……
親の「私事化」が子どもの孤立感を増幅させる
事例@ホームシックになってみたい
事例Aわが子なら、殺されても逃げてはいけませんよね
事例B僕は自分の道を進みます
[10の提案]変わらぬ現実に「いじらしい子」と思えたら“八合目”
第3章◆キレる前に気づいて
・怒りの背後に潜む感情
・「怒り」は生きるエネルギー
・強迫性社会が怒りを増幅させる
・「怒り」を「甘える」表現に変えて
わが子を「加害者」にしない関わり チェックリスト50
エピローグ
事件を回避する感覚『瞼の母』
・やくざな心から足を洗えた「忠太郎」