みなさんは、「靖国神社」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
靖国神社は明治二年六月に、戊辰戦争で命を落とした薩摩・長州の新政府軍の兵士を顕彰・慰霊するために、皇居の隣にある東京・九段坂に「東京招魂社」を創建したのが始まりである。
その後、東京招魂社は明治十二年六月に、現在の靖国神社という名に改められるのであるが、東京招魂社が建てられた当時の日本は、ちょうど「明治維新」のまっただ中で、国内での争いが絶えない時代だった。
その理由を理解するには、十五世紀から十九世紀にまでさかのぼって、当時の西欧列強の植民地支配の始まりから、見ていかなければならないだろう。
なぜなら西欧列強が世界中で次々と植民地支配を始めた、この四〇〇年間を視野に入れなければ、明治維新が起こったことや、靖国神社が創建された本当の理由も絶対に分からないからである。
十五世紀末から十七世紀前半にかけてのヨーロッパは、主にポルトガル、スペイン、イタリアの人々が新航路を開拓したり、新大陸に到達したりして植民地活動を活発に行っていた時代であった。
わが国の歴史教科書では、このような時代を「大航海時代」と呼んでいるが、これはあくまでも白人から見た歴史であって、日本人のような有色人種から見れば、大航海時代というよりも、むしろ「大侵略時代」と呼んでもよい時代だったのである。
やがて、東アジアでいちばん強いはずの清国が一八四二年に、イギリスとの「アヘン戦争」に敗れると、幕末に日本に来航したペリー艦隊をきっかけに、日本は西欧列強の植民地支配に対抗するために明治維新を行って、鎌倉時代から続いた武家政治を終わらせるのである。
その後、日本は、わずか二十年たらずで西欧列強の科学技術や政治制度を導入して、彼らと同じ近代国家を作りあげることに成功するのであるが、こうしたことは歴史上、世界のどこにも見ることのできない奇跡のような出来事だったのである。
こうした時代の波の中で、やがて日本は、朝鮮半島の独立をめぐって大国の清国やロシアと対立するようになり、最後には両国と戦って勝利を得るのである。
しかし、この日清戦争や日露戦争は、単に日本が大国と戦って勝利を得た戦いではなかった。日清戦争は、朝鮮を独立させると同時に、それまで東アジア世界にあった古い国際秩序を解体して、新しい国際秩序を生み出すきっかけを作った戦争でもあったからである。
一方、日露戦争も、ロシアに朝鮮支配を断念させると同時に、大航海時代からの白人優位の国際関係に対して、白人は有色人種を無視できなくなるという、新しい国際関係を生み出す戦いでもあったからである。
また日露戦争は、長い間、西欧列強の植民地支配に苦しめられていたアジア、アフリカ、アラブ諸国だけでなく、ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランドやポーランドの民族独立運動にも希望と励ましを与えた戦いでもあったのである。
では、なぜ東アジアの一小国である日本が、大国の清国やロシアと戦って勝つことができたのだろうか。
それは、日本人が国民国家の一員として、心や力を一つにして、この戦争を戦ったからであるが、その背景には靖国神社という精神的な支えがあったからである。
この戦争で命を落とした日本人は、日本を守るために犠牲になったのだから、明治政府は国家の義務として、彼らを合祀し、尊敬と追悼を捧げなければならないのである。
だから、靖国神社に戦没者が合祀されるということは、戦没者にとって最高の名誉であり、鎮魂なのである。
新しい日本とともに誕生した靖国神社は、それまで同じ民族に過ぎなかった日本人に同じ国民であるという意識を持たせて、国家や皇室・皇族を守るために命を捧げる者を生み出す上で、大きな役割を果たしたのである。
その後、連合国の陰謀によって、日本は自衛戦争を起こすことを余儀なくされるが、この戦いは日本だけの戦いではなく、アジア諸民族の生存を賭けた戦いでもあったのである。
このとき、日本軍は「大東亜戦争」と呼ばれる戦いで、アメリカ軍に「特攻」による捨て身の一撃を加えて、世界でいちばん強い軍隊として尊敬されるのである。それが日本軍にできたのは、死んだら自分たちの魂を慰め、最大の敬意と愛情を注いでくれる靖国神社という慰霊の場所に祀ってもらえるという安心感があったからである。
だからこそ、日本軍は勇敢に戦ったのであるが、その日本人の精神的な支えである靖国神社を最初に襲った危機が連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の出した「神道指令」であった。
これは、神道に対する国家の保護や学校で神道を教えることを禁止する命令で、国家主義の根源である国家神道の制度を廃止することが目的であった。
次に、靖国神社を襲った危機は、中曽根首相の公式参拝だった。それまで一度も首相の靖国参拝に反対してこなかった中国や韓国が激しく反発してきたからである。
それ以来、靖国神社は、首相が参拝するたびに、軍国主義の象徴として、国内外から批判を浴びるようになったのである。
では、軍国主義の象徴と呼ばれる日本の靖国神社に、なぜ多くの有色人種の国の人たちが参拝するのであろうか。その理由は、大東亜戦争がわが国の教科書に書かれているようなアジアで悪いことをやった戦争ではないからである。
戦後、アジアの指導者たちが大東亜戦争を讃えているように、この戦争によって、世界のいたるところで有色人種の独立国家が誕生したが、それらの新興国は、今や世界の経済や政治の動き、地球環境にも、そして、これまで白人の独占物だったオリンピックにも大きな影響を与えるくらい発展したのである。
日本の未来をになう子供たちが、この本を読むことによって、西欧列強の侵略に敢然と立ち向かって、「侵略の世界史」を変えた当時の日本人たちの精神的な支えになったのが、靖国神社であることを学んでもらえればと思うしだいである。
平成二十七年十二月八日(日米開戦の日に)
吉本貞昭