教科書が絶対に教えない靖国神社

日本人が知らない靖国神社の真実

吉本 貞昭 著 2016.04.27 発行
ISBN 978-4-8024-0017-6 C0021 A5並製 176ページ 定価 1540円(本体 1400円)


靖国神社は、なぜ出来たの?

いったい誰が祀られているの?

A級戦犯って何? 東京裁判って何?

なぜ首相が参拝すると中国や韓国は怒るの?

それでも多くの外国人が参拝するのは、なぜ?

──こうした疑問に、すべて答えます!



※小学生にも読めるように、本文中のほとんどの漢字にルビを振ってあります。
 また、難しい言葉にはその下にわかりやすい説明を入れています。

はじめに

教科書が絶対に教えない靖国神社

みなさんは、「靖国神社」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
靖国神社は明治二年六月に、戊辰戦争で命を落とした薩摩・長州の新政府軍の兵士を顕彰・慰霊するために、皇居の隣にある東京・九段坂に「東京招魂社」を創建したのが始まりである。

その後、東京招魂社は明治十二年六月に、現在の靖国神社という名に改められるのであるが、東京招魂社が建てられた当時の日本は、ちょうど「明治維新」のまっただ中で、国内での争いが絶えない時代だった。
その理由を理解するには、十五世紀から十九世紀にまでさかのぼって、当時の西欧列強の植民地支配の始まりから、見ていかなければならないだろう。
なぜなら西欧列強が世界中で次々と植民地支配を始めた、この四〇〇年間を視野に入れなければ、明治維新が起こったことや、靖国神社が創建された本当の理由も絶対に分からないからである。
十五世紀末から十七世紀前半にかけてのヨーロッパは、主にポルトガル、スペイン、イタリアの人々が新航路を開拓したり、新大陸に到達したりして植民地活動を活発に行っていた時代であった。
わが国の歴史教科書では、このような時代を「大航海時代」と呼んでいるが、これはあくまでも白人から見た歴史であって、日本人のような有色人種から見れば、大航海時代というよりも、むしろ「大侵略時代」と呼んでもよい時代だったのである。
やがて、東アジアでいちばん強いはずの清国が一八四二年に、イギリスとの「アヘン戦争」に敗れると、幕末に日本に来航したペリー艦隊をきっかけに、日本は西欧列強の植民地支配に対抗するために明治維新を行って、鎌倉時代から続いた武家政治を終わらせるのである。
その後、日本は、わずか二十年たらずで西欧列強の科学技術や政治制度を導入して、彼らと同じ近代国家を作りあげることに成功するのであるが、こうしたことは歴史上、世界のどこにも見ることのできない奇跡のような出来事だったのである。
こうした時代の波の中で、やがて日本は、朝鮮半島の独立をめぐって大国の清国やロシアと対立するようになり、最後には両国と戦って勝利を得るのである。
しかし、この日清戦争や日露戦争は、単に日本が大国と戦って勝利を得た戦いではなかった。日清戦争は、朝鮮を独立させると同時に、それまで東アジア世界にあった古い国際秩序を解体して、新しい国際秩序を生み出すきっかけを作った戦争でもあったからである。
一方、日露戦争も、ロシアに朝鮮支配を断念させると同時に、大航海時代からの白人優位の国際関係に対して、白人は有色人種を無視できなくなるという、新しい国際関係を生み出す戦いでもあったからである。
また日露戦争は、長い間、西欧列強の植民地支配に苦しめられていたアジア、アフリカ、アラブ諸国だけでなく、ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランドやポーランドの民族独立運動にも希望と励ましを与えた戦いでもあったのである。
では、なぜ東アジアの一小国である日本が、大国の清国やロシアと戦って勝つことができたのだろうか。
それは、日本人が国民国家の一員として、心や力を一つにして、この戦争を戦ったからであるが、その背景には靖国神社という精神的な支えがあったからである。
この戦争で命を落とした日本人は、日本を守るために犠牲になったのだから、明治政府は国家の義務として、彼らを合祀し、尊敬と追悼を捧げなければならないのである。
だから、靖国神社に戦没者が合祀されるということは、戦没者にとって最高の名誉であり、鎮魂なのである。
新しい日本とともに誕生した靖国神社は、それまで同じ民族に過ぎなかった日本人に同じ国民であるという意識を持たせて、国家や皇室・皇族を守るために命を捧げる者を生み出す上で、大きな役割を果たしたのである。
その後、連合国の陰謀によって、日本は自衛戦争を起こすことを余儀なくされるが、この戦いは日本だけの戦いではなく、アジア諸民族の生存を賭けた戦いでもあったのである。
このとき、日本軍は「大東亜戦争」と呼ばれる戦いで、アメリカ軍に「特攻」による捨て身の一撃を加えて、世界でいちばん強い軍隊として尊敬されるのである。それが日本軍にできたのは、死んだら自分たちの魂を慰め、最大の敬意と愛情を注いでくれる靖国神社という慰霊の場所に祀ってもらえるという安心感があったからである。
だからこそ、日本軍は勇敢に戦ったのであるが、その日本人の精神的な支えである靖国神社を最初に襲った危機が連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の出した「神道指令」であった。
これは、神道に対する国家の保護や学校で神道を教えることを禁止する命令で、国家主義の根源である国家神道の制度を廃止することが目的であった。
次に、靖国神社を襲った危機は、中曽根首相の公式参拝だった。それまで一度も首相の靖国参拝に反対してこなかった中国や韓国が激しく反発してきたからである。
それ以来、靖国神社は、首相が参拝するたびに、軍国主義の象徴として、国内外から批判を浴びるようになったのである。
では、軍国主義の象徴と呼ばれる日本の靖国神社に、なぜ多くの有色人種の国の人たちが参拝するのであろうか。その理由は、大東亜戦争がわが国の教科書に書かれているようなアジアで悪いことをやった戦争ではないからである。
戦後、アジアの指導者たちが大東亜戦争を讃えているように、この戦争によって、世界のいたるところで有色人種の独立国家が誕生したが、それらの新興国は、今や世界の経済や政治の動き、地球環境にも、そして、これまで白人の独占物だったオリンピックにも大きな影響を与えるくらい発展したのである。
日本の未来をになう子供たちが、この本を読むことによって、西欧列強の侵略に敢然と立ち向かって、「侵略の世界史」を変えた当時の日本人たちの精神的な支えになったのが、靖国神社であることを学んでもらえればと思うしだいである。

平成二十七年十二月八日(日米開戦の日に)

吉本貞昭



目次


はじめに

第一章 西欧列強の植民地支配と日本人

一 西欧列強による植民地支配の始まり
   ──白人によるアジアへの侵略
二 明治維新はなぜ起こったのか
   ──世界が驚いた近代化への道
コラム@ 西欧列強はどのような理由で植民地支配を行ったのか

第二章 靖国神社と日本人

一 靖国神社はなぜ誕生したのか
   ──安らかに国を治めるために
二 日本人は靖国神社をどのように見ているのか
   ──戦没者と遺族にとって最高の名誉
三 靖国神社は日清・日露戦争をどのように見ているのか
   ──国民が一致団結するためのシンボル
コラムA 日本人の精神的な支えとなった靖国神社

第三章 靖国神社と大東亜戦争

一 大東亜戦争はなぜ起こったのか
   ──それは追いつめられた自衛のための戦争だった
二 戦後に靖国神社を襲った危機とは何だったのか
   ──マッカーサーとGHQによる日本の弱体化
三 靖国神社は戦犯をどのように見ているのか
   ──東京裁判の偽善とA級戦犯の真実
四 中国・韓国・北朝鮮はなぜ靖国参拝に反対するのか
   ──首相の公式参拝・A級戦犯の分祀・新たな追悼施設の問題
五 外国人は大東亜戦争と戦犯裁判をどのように見ているのか
   ──アジアの人々を勇気づけた植民地解放の戦い
コラムB ローマ法王から見た戦犯裁判

第四章 靖国神社と外国人

一 外国人は靖国神社をどのように見ているのか
   ──靖国神社は日本再生のエネルギー
二 外国人はなぜ靖国神社に参拝するのか
   ──世界各国から参拝に訪れる人々
三 外国人はなぜ靖国神社を尊敬するのか
   ──国を守るため命を捧げた英霊たちの魂
コラムC 日本人の精神文化の根本を神道に見た外国人

おわりに




おわりに


靖国神社の境内にある遊就館の二階には、神社の宝物、戦没者の遺書、遺品などが展示されているが、その中に神風特攻隊の生みの親である海軍中将大西瀧治郎の鮮血に染まった遺書が展示してある。
大西中将は八月十六日の夜明けに、数千人の部下を特攻で死なせた責任をとって割腹自決を遂げたが、その遺書には青年に対して、たとえ平和なときであっても、特攻精神を持ち続けることを願っている一節がある。
この言葉の意味は、戦前の青年たちが国家の危機に際して、一つしかしない命を捧げた犠牲的精神を、戦後の青年たちが受けつぐことで、再び日本が国家の危機に直面しても、日本を守るために、いつでも死ねる覚悟と勇気を持った者が現れることを願ってのことだったと思う。
にもかかわらず、今の日本人は、戦後の「反戦平和教育」によって、すっかり「愛国心」というものを失くしてしまったかのように思う。
その理由は、戦後の日本では靖国神社を「戦争を賛美する神社」と批判し、参拝を「軍国主義の復活」と攻撃することが平和な国民の証であり、また大東亜戦争に対する反省が国を立て直すための出発点であるかのように言われてきたからである。
また戦前の日本は、侵略戦争を行って、世界の人々に迷惑をかけたのだから、その反省のもとに世界に謝り、罪をつぐなうことが、今後の国際社会に日本がもどることができる、ただ一つの道であるかのように言われてきたからである。
終戦五十年の平成七年八月十五日に、村山富市元首相が発表した謝罪談話などは、その典型で歴代の自民党政権も同じ内容を受けついできた。
戦後の日本は、確かに経済的には発展を遂げたかもしれないが、東京裁判の影響によって平和を「絶対善」、戦争を「絶対悪」と考えるようになってしまった。これを「平和ボケ」と言うが、いつのまにか侵略戦争と自衛戦争の区別がつかなくなってしまった日本人は、世界の常識から見れば、「バカ」か「偽善者」としか見られないのである。
大西中将が言っているように、平和というのは、いざとなったら戦争も辞さないという強い覚悟でのみ得られるものなのである。それが世界の常識だからこそ、世界の国々は例外なく国の防衛に力を入れ、子供たちに国の防衛の大切さや自己犠牲を尊ぶ教育を行っているのである。
戦後の日本は、北朝鮮に国民が拉致され、ミサイルで脅かされても、中国に尖閣諸島が脅やかされ、韓国に竹島が占領されても、手も足も出せないでいる。
日本がこうした問題を自分で解決できないのは、アメリカに押しつけられた「平和ボケ憲法」によって、自分で自分の国を守ることを放棄させられているからである。アメリカが「世界の警察官にはならない」と言った以上、日本の安全は自分で守るしかないだろう。
実は、日本民族の再生の鍵は、靖国神社を守ることにあるのだ。かつて日本軍が敵から尊敬されるほど、勇敢に戦うことができたのは、たとえ自分が死んでも自分の霊魂は靖国神社に祀られて、国民から永遠に尊敬され、追悼してもらえるという安心感があったからである。
この靖国神社への参拝を国民運動にすれば、その運動は日本を救う力となり、日本民族の再生につながるだろう。
日本人が民族の魂を取り戻して、世界からもっと尊敬される国になるには一日も早く「平和ボケ憲法」を改正して日本人の精神の根本である靖国神社に戦没者を合祀できるようにならければならないと思うのである。

平成二十八年二月八日(日露戦争開戦の日に)

吉本貞昭


 

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