いまも、日本人の生活は、海外からの資源によって成り立っている。その資源の供給が絶たれれば、日本国民は困窮する。企業はほとんど操業できず、流通はストップし、電力供給もままならない。
石油の輸入がストップしたら、戦争の惨禍よりも厳しい食糧難、経済難が予測されるのは、戦前もいまも、状況は全く同じだ。
大東亜戦争で、日本は無謀な侵略戦争をしたのではない。日本は、開戦ぎりぎりまで、和平を求めていた。しかしアメリカは、何としても日本に戦争を起こさせたかった。
日本は、「窮鼠猫を噛む」状況に追い込まれたと、欧米の良識ある歴史家は認識している。日本に対する経済封鎖、禁輸措置は、事実上の宣戦布告だった。
昭和十六年七月二十六日の最終的対日経済制裁について、ルーズベルト大統領は、軍部首脳の意見を求めた。軍部の回答は「対日貿易は禁輸すべきでない。もし禁輸を行えば、恐らく極めて近い将来、日本はマレー及び蘭領東印度諸島(インドネシア)を攻撃する。そしてアメリカを近い将来に太平洋戦争の渦中に投じることとなるであろう」というものだった。
東京裁判で木戸幸一の弁護を担当したアメリカ人弁護人のウィリアム・ローガンは、こう論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最後的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追及したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。……それは、不当の挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」
愛する家族の命と生活を守るために、日本は大東亜戦争の戦端を開いたのだった。
その緒戦で、油田を確保するために、決死のパラシュート降下作戦を実行したのが「空の神兵」だった。
パラシュートで降下する間、部隊の隊員は、まったく攻撃も反撃もすることができない。敵が地上から、空から撃ってくるのを耐えるのみなのだ。これは、通常の戦闘機や戦艦による攻撃とはまったく違う。ひたすら運を天に委ねて、地上に降り立つのを待つのだ。
奥本實中尉は、パレンバンでのパラシュート降下作戦の隊長として、見事な戦果を挙げられた。私が驚いたのは、昭和天皇に、奥本中尉がたった一人で拝謁をしている事実だった。
それにしても、少尉、中尉は、戦闘の最前線の指揮官である。昭和天皇が、小隊長にあたる奥本中尉に、単独拝謁を許されたことに、驚きを覚えた。
奥本中尉は大正九年十月七日生まれ。パレンバンで降下作戦を決行した昭和十七年二月十四日は、満二十一歳だった。
昭和天皇に拝謁をしたのは、昭和十八年二月十九日。満二十二歳、現役の中尉として、戦時中に陛下の拝謁を賜った。その後、昭和十九年三月一日付で大尉に昇格した。
石油は、臣民の生活にも、自衛の戦争を戦うにも、生命線だった。陛下も、さぞ、奥本中尉の偉業を、お喜びになられたことだろう。
ヘンリー・スコット=ストークス