この日記は、戦地の「慰安所」で「帳場人」として勤めた人のものであり、いわゆる従軍慰安婦問題を理解する上で、最も価値あるものである(「帳場」とは、商店や旅館・料理店などで帳簿付けや勘定などをするところ)。日韓における慰安婦問題が解決した時には、このような資料は全く価値を持たないのかもしれないが、それでもこの日記は、少なくとも日本植民地時代の朝鮮人の生活史を知る上で貴重なものであり、戦後の歴史観のバイアスがかかっていない一次資料として、大変に貴重なものだと思っている。
この日記の現在の所蔵者は、今日のような日韓関係を懸念して、この日記の公開を控えたり、宝物のように一瞬だけ見せたりしている。だが、日記を書いた人の本意を読みとろうとすればするほど、この日記が、資料として公開されることを考えて書かれたように思えてくる。だからこそ、この日記を読み解くという作業も、あながち日記を書いた人に無礼なことではないのではないだろうかと考えている。
日記は万年筆で書かれており、そのインクが濃くなったり薄くなったりしていることから、彼が、毎日日記を書いたのか、二、三日まとめて書いたのかがわかる。日記の言語は、ハングルと、日本語の漢字や平仮名、片仮名まじりで書かれている。
日本の植民地教育を受けたとはいえ、彼の日本語の使い方は、私が使う日本語と似ている。つまり、濁音や長音など、私と同じように間違っていることが多いのである。その意味でも、私のような立場の者が翻訳しやすいのではないかと思った。
日本は、戦争と植民地化によってアジアに大きな損害を与えたとされ、その責任が、国内外でたびたび問われている。そうした、戦争の負の遺産は、戦後の国際関係にも大きく影響を及ぼしている。戦争や植民地化が終戦によって終わっても、それはその後も負の遺産、いわゆる歴史認識の問題として残り、現在にまで関与し続けている。特に日韓関係においては、それが顕著である。しかも、そうした「悪い状況」を、反韓・嫌韓として売り物にする者が多い。こうした様々な負の遺産の中でも特に、日本の将兵が慰安所を利用した事実、慰安所や慰安婦の問題が、不和の根元になっている。
私は、朝鮮戦争での体験に基づいて、戦争と性に関していくつかの論文を書いたり、講演・講義をしたりしている。それらは戦争中の、特に交戦中の兵隊の性の問題に関するテーマという点では、本書とも共通する。例えば、『恋愛と性愛』(早稲田大学出版部、二〇〇二年)で「韓国における処女性と貞操観」として発表したのをもとにした論文が、比較家族史学会の学会誌に「韓国における性と政治」として掲載されており、『アジア社会文化研究』二号には「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」(広島大学大学院国際協力研究科、二〇〇一年)が掲載された。また、『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』(ハート出版、二〇一四年)という著書もあり、本書は、それらの研究と対になるものである。