多くの日本人は、武士道はもう日本に存在していないと言います。
もちろん武士道を「武士の道」と定義するなら、職位としての武士は、「士農工商」という身分制度がなくなり、「四民平等」となった明治維新、つまり一九世紀の半ばも過ぎると終焉を迎えました。
しかし、武士道精神は、決して死に絶えてはいません。日本人一人ひとりの中に、姿を変えて生き続けています。
私自身は、もう五〇年以上も、日々、武道の稽古を欠くことなく続けてきました。
空手道は松濤館流の最高位五段(大島道場)で、イスラエルの松濤館流空手の師範でもあります。また、居合も無双直伝英信流の五段で、つい先日も靖国神社の能楽堂で、奉納演武をさせていただきました。
そんな私が、「外国人」という外からの目をもって観ると、日本の社会には、あらゆる面において武士道精神が発揮されていることがわかります。
日本で武道の稽古をする人たちは、皆が武士道精神を涵養しています。
二〇一一(平成二三)年三月、多くの日本の子供たちや若者が、東日本大震災の惨禍を体験することになりました。しかし、被災した子供や若者たちですら、武士道精神をごく自然に発揮していました。世界中の人々が、その姿に感動を覚えたことは、まだ記憶に新しいところです。
武士道精神は、いまだに日本に息づいているのです。
そして武士道精神は、日本にだけ残されているのではありません。
日本のあらゆる産業や芸術は世界に広まっていますし、マンガやアニメも世界に大きな影響を与えています。そうした姿の中にも、武士道精神は生き続けているのです。
そして、日本を遠く離れた海外の小さな国であるイスラエルにも、武士道精神は存在しています。
日本民族とイスラエル民族。世界にこの二つの民族ほど、まったく対極にある歴史を、紡いできた民族は他にはありません。
日本とイスラエルは、まったく異なった民族のように見えます。言語は、まったく違う言葉のように聞こえるし、文化も宗教も対極的に隔たったもののように思われます。
明治時代までは、両国が決定的な出会いや交流を持ったという歴史的な証拠は、まったくありません。
それにもかかわらず、深く掘り下げて研究してみると、日本の文化や家族の在り方、宗教の祭祀や象徴には、ユダヤの伝統や歴史、イスラエル民族との密接な関係を感じずにはいられません。
日本人にはまったく意味不明の「祭りの掛け声」などが、摩訶不思議にも私にはその意味がわかるのです。イスラエル民族とのつながりを暗示している伝統や神道の祭祀、日本の文化伝統が、あまりにも数多くあることに、率直な驚きを禁じ得ません。
すでに、「日ユ同祖論」や「日本とユダヤのつながり」などについて書いている多くの書籍があります。本書で、そうした書籍の内容を、あえて繰り返し述べる必要もないのですが、実に不思議な、あたかもイスラエル民族が、かつて日本にやってきていたのではないかと思わせる事例を、私なりに紹介したいと思います。
おそらく日本の歴史の中の、いくつかの異なった時代に、イスラエル民族は日本列島の異なった場所にやってきたのだろうと思います。そうでなければ、説明がつかないことが数多くあるのです。そうした絆が、日本の伝統や祭祀に多くの影響を残したのではないかと思います。
また、日本とイスラエルとが、長い歴史の上でほとんど交流がなかったにもかかわらず、明治以降になって、日本の伝統や日本人の生きざまが、イスラエル民族やイスラエル国家の形成に大きな影響を与えたことも特筆に値します。
日本人がイスラエル人に影響を及ぼしたのは、歴史的にはごく最近、二〇世紀の初めからのことですが、その流れは、二一世紀の今日までも続いてきています。
そうした日本とイスラエルの絆を考えるうちに、私は武士道の原点ともいうべきもの、日本人と日本という国の底流にあって、その立ち居振る舞いや存在そのものに影響を及ぼす根源的なものがあることに気づいたのです。
それは、「日本道」とも呼ぶべきものです。
二一世紀の初めになって、日本とイスラエルの人々は、まったく異なった背景を持ち、違う民族であるにもかかわらず、深い絆があることに気づき始めています。
両国が、これまで以上に、文化交流において、ビジネスにおいて、はたまた技術協力において、関係を深め、絆を強くしていく上で、本書がその一助となることを願っています。
はじめに
第一章 神の命によって生まれた国
神話に由来するイスラエルと日本
神の教えを記録した「トラ」の巻物
神が約束した「カナンの地」
天之御中主神は、「創造主たる神」
『古事記』に描かれた「宇宙創造」神話
伊邪那岐、伊邪那美が誕生するまで
一週間が七日間なのも、神話に由来する
五七七八年前、神はアダムとエヴァを創造された
ユダヤ教にも神道にもない「原罪」という概念
「ノアの箱舟」「バベルの塔」「ソドムとゴモラ」も秩序のため
温情の神は、裁きを好まない
神による禊は、清らかな世界をもたらす
神と相撲を取って勝ったヤコブ
日本の神話と似ている聖書の神話
第二章 神話という「民族の叙事詩」
モーセの誕生と「出エジプト」の神勅
神が次々と起こした奇跡
民族の叙事詩としての『出エジプト記』
神がモーセに与えた「十戒」の契約
約束の地・カナンに至ったヨシュア
日本民族の叙事詩「神武東征」
対極的な運命を歩んだイスラエルと日本
「日ユ同祖論」の摩訶不思議と皇室
最新のDNA研究によってわかったこと
日本は、武士道の国。その遺伝子は占領で失われてなどいない!
第三章 イスラエルと日本の不思議な絆
二七〇〇年前、淡路島にユダヤ人が来ていた
大本教の出口王仁三郎が遺跡調査を指示
古代ユダヤ遺跡発掘六五周年の記念式典で講演
淡路島がつなぐ不思議な縁
高天原はイラク北部にあった!?
相撲や祭りの掛け声はヘブライ語
まったく意味不明の盆踊りの歌
景教徒は失われた一〇部族か
京都は日本の「エルサレム」
京都の祇園祭は、「シオンの祭」
諏訪神社で行われる聖書の「イサク奉献」神話
諏訪大社の「御頭祭」は、聖書の「イサク奉献」だ!
十戒の石板が納めされた聖櫃は神輿にそっくり
神社のつくりは、「幕屋」に似ている
金属を使わない古代イスラエルの神殿
偶像を祈らない日本の神道
山伏もユダヤ教徒にそっくり
禊もお祓いも、古代イスラエルのご神事
ユダヤ教と神道は、塩によるお清めをする
四国・剣山に失われた「聖櫃」はあるのか
第四章 イスラエルと日本を結ぶ「黄金の三角形」
二つの民族に共通する「黄金の三角形」
■第一の要素──神への信仰
イスラエルにとっての聖書、モーセ、ヘブライ語
死海写本の発見
ユダヤの聖書注解と伝統文化
日本民族にとっての神道
神道とユダヤ教──信じる神の違いを超えて
神道における八百万の神々
「敬神崇祖」は、ユダヤ教の信仰でもある
無宗教と無関心は違う! 日本人は、宗教的な民族だ
土地の神々に祈る
日本人は宗教的な儀式を大切にする
■第二の要素──国、神聖な地
イスラエルの地とエルサレム
約束は時間を超えて受け継がれる
「神州日本」は神々の住み給う地
■第三の要素──民族と部族、選ばれた民
単一民族としての自覚
ユダヤ民族の父祖イスラエル
ユダヤの一二部族
神のメッセージを伝える使命
日本人の民族としてのアイデンティティ
第五章 「武士道」は神話の時代から育まれた
神話がいまも生きているユダヤ民族
日本の「武の精神」は神話の時代に遡る
武の精神は神の理想の実現にある
高天原を防衛するため武装した天照大御神
八岐大蛇を退治して英雄となった須佐之男命
大国主命の「国譲り」神話
三輪山の神を崇めた崇神天皇
悲劇の英雄・日本武尊の武勇伝
熊曾建・出雲建の討伐
日本武尊の東国征伐
弟橘媛に見る高貴なる精神
伊勢神宮の加護と日本武尊の死
仲哀天皇の絶命と神功皇后の新羅遠征
聖帝の仁政を示された仁徳天皇
「日出づる処の天子」の国書が示した独立の気概
聖徳太子の「一七条憲法」の道
大伴家持が『万葉集』で歌った「海ゆかば」
『万葉集』は、「防人」の時代の歌集
日本人の心、武士道精神の原点としての『万葉集』
「神州」を護るのが武士道の原点
『万葉集』が誕生する国内情勢
唐の脅威に対抗して天皇国家体制を整備した日本
武士道の原点は、「日本道」にあった!
第六章 イスラエルを建国しユダヤ人を救済した「日本道」
「我が英雄」ヨセフ・トランペルドール
シオニズム運動とトランペルドール
「ユダヤ人らしくないユダヤ人」
日露戦争で左腕を失う
旅順陥落で大阪・浜寺の捕虜収容所へ
国家建設の必要性に目覚める
テル・ハイのライオン像と殉教碑
日露戦争を支援したユダヤ人・シフ
帝政ロシアによるユダヤ人迫害
ユダヤの『ゴールデン・ブック』に載る樋口季一郎中将の名
ユダヤ難民に対する関東軍の方針
杉原千畝のビザ発給は、日本政府と外務省の方針に従ったまで
第七章 日本もイスラエルも「神の国」だ
西郷隆盛の死は武士道の死ではない
白人列強との対峙から第二次世界大戦へ
「武士道」が全国民に普及した
敗戦後の奇跡的復興と高度成長をもたらした武士道
終戦の「玉音放送」にある「神州不滅」の言葉
命を賭して護る大切なもの
男系男子を貫く天皇の皇位継承
ユダヤの祭司コーヘン一族も男子継承
自決の在り方は武士道に近いユダヤ人
勇者サムソンの「カミカゼ」攻撃
サウル王の切腹
エリエゼル・マカビィの死
「マッサダは二度と落ちない」──伝説の戦跡
ユダヤ教と「自殺」の関係
神話の時代からある日本人の「自決」の思想
神風特別攻撃隊
「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」との精神
「神仏習合」以前、神話に遡る大和魂
「日本道」は、万世にわたり一貫した日本人の原理原則だ!
おわりに
翻訳・構成担当者によるあとがき
主要参考引用文献