【歴史観の不満】――――二十一世紀に入り、大東亜戦争が終わってからすでに半世紀以上が経過した。それにもかかわらず、わが国は近隣諸国から依然として慰安婦や南京事件など近代史を理由に盛んに非難され攻撃されている。
これに対して日本政府は反論せずにひたすら謝罪を繰り返しているが、事態は悪化するばかりである。というのは、国際社会では単なる謝罪は和解どころか「有罪の承認」に過ぎず、逆に攻撃の正当化になるからだ。このため外国では、日本人に対する民族迫害まで始まっている。
しかし、日本はそんなに悪いことをしたのだろうか。いつまでも続く日本非難に「われわれは膨大な賠償を払っている。もともと自衛戦争で敗戦しただけではないか。なぜお前たちはそんなことをいえるのか?」という素朴で自然な反発が生まれている。
【国際環境の変化】――――そこで絶えず持ち出される「東京裁判史観」をみると、一九四八年に東京裁判で日本を断罪した米国のマッカーサーは、三年後の一九五一年には早くも米議会で、日本の戦争は自衛戦争であったと修正している。自衛は正当だから日本には戦犯は存在せず、処刑された昭和殉難者はみんな冤罪なのだ。そして、国際関係の変化により、当時協力して反日裁判を行った米ソが激しく対立した結果、ソ連は一九九一年に自滅してしまった。これにより当時の機密情報が米ソで公開されるようになると、それまでの歴史や価値観に多くの誤りがあることが分かってきた。
とくに、戦後処理を決めたとされる米ソの「ヤルタ協定」も、米国により否定された。二〇〇五年、ブッシュJr大統領はラトビアでルーズベルトの誤りを謝罪し、被害諸国に陳謝している。これには、満洲でソ連に襲われ固有の領土である北方四島を奪われた日本も入っているのだ。
したがって、東京裁判史観は明らかに時代遅れとなっている。しかしこの重大な事実は、日本が独立したのに国民に隠されてきた。いまだに日本史の教科書は、占領時代のまま日本のアジア解放を侵略といっている。イタリアの哲学者クローチェは、「あらゆる歴史は現代史である」と述べている。過去の歴史が現代の政治に使われるという意味だ。
そこで私たちは、大東亜戦争から今日に至る近代史を日本人の立場で見直し、内外の不当な意見には、はっきりと反論する時機を得たのである。
【近代史の疑問】――――これと同時に、国民の間に本当の歴史を知りたいという欲求が高まってきた。たとえば、支那事変は誰が何のために始めたのか。なぜ日本は大陸の戦争に深入りしたのか。なぜ日本は真珠湾攻撃をしたのか。米国は攻撃を知っていたのか。そして、東京裁判とはいったい何だったのかなど、たくさんの疑問が常に提起されている。
【既刊図書の不満】――――そこで既刊書を読んでみると、部分的な歴史事件については優れた著作がある。しかし、全体の流れをまとめたものがない。このため、いまだに反日勢力から東京裁判史観を持ち出されても部分的な反論に留まり、戦争全体の視点からの反論ができないのである。
【総合史の必要性】――――そこで重要な歴史事件を明らかにし、相互の因果関係を見つけてつなぎあわせ、総合化することが必要になる。
【気づきの大切さ】――――歴史研究の原動力は、気づきである。日本の歴史が自分にとって大事な精神の柱であることに気づく。そうすれば自然に関心のある歴史事件から歴史の知識が広がり、全体の歴史の理解を深めていくことができる。
近現代史研究の心得
【日本人の歴史とは何か】――――歴史の素材としての事件や事象は無数にある。その中から日本人の生存と発展に役立つ事件を選び出したものが日本人の歴史であり、それらの事件相互の因果関係を最大公約数的に分かりやすく関連づけたものが日本人の歴史観となる。各国の民族の歴史や歴史観はそれぞれ固有であり、同じものはない。
【歴史は情報の山】――――歴史は巨大な情報の山である。いきなり個別事件の詳細に入り込むと迷ってしまう。そこで近現代史分析のポイントをいくつか挙げてみよう。
【歴史の真実とは】――――真実の歴史というが、神ならぬ身の人間には真実は分からない。多くの歴史証言も、まさに「群盲象を撫でる」で、それなりに正しいとしても全てではない。そこで、確実な史実を集めて相互の因果関係を類推し、事件の本質の可能性を狭めていく。当たらずといえども遠からず主義だ。
【歴史研究の心得】――――@日本人としての自覚、A国際的な広い視野、B戦争を政治として見る高い視点、C総合的な深い洞察、そして、D新しい歴史資料への関心を常に心がけてほしい。
【外交情報の取り扱い】――――外交では秘密協定や協定時期のごまかし、文書の偽造などがあり、自伝も弁明の書と言われている。そこで歴史研究では、あくまでも事実を最優先にして合理的に推察し、事件の真実に迫る。歴史研究は巨大なジグソーパズルなのだ。
【事実との符合】――――大学の歴史研究者は、公表された史実を金科玉条のように取り扱うことが多い。しかし歴史家は、公表された史実でも事実と符合していなければ否定する。これが、大学の歴史研究者と歴史家との大きな違いであろう。
【戦争分析の方針】――――本書では、戦争を因果関係で概括し、主要なポイントを挙げて解説する。歴史的事件ではあるが、現代的な意味を考える。また、当時の日本人の勇気と奮闘を知り、犠牲者の慰霊顕彰を忘れない。
【謀略工作に注意する】――――歴史情報には史実の隠蔽、歪曲、偽造、二重基準、レッテル貼りがある。第二次大戦は謀略宣伝戦でもあった。戦時中の敵の情報、とくに共産党関係の情報は謀略の可能性があるので鵜呑みにしない。
【複雑性の理解】――――@大東亜戦争は日本以外の複数の国の戦争が関係しており、非常に複雑である。だから、同時進行中の事件に目を配る。
A「事件に偶発なし」米国大統領ルーズベルトは、「政治の世界では何事も偶然に起こるということはない。すべては仕組まれているのだ」と語ったという。考えてみれば人間のやることだから当然である。
B「開戦時に衝突なし」衝突というのは開戦側の責任転嫁や隠蔽表現である。支那事変、ノモンハン事件、朝鮮戦争が良い例である。
【イデオロギーとプロパガンダ】――――@「政治宣伝」近代史は史実だけでなく、用語や価値観、論理までが反日イデオロギーにより歪曲されているので注意しよう。たとえば、歴史論に傀儡国満洲、日本軍国主義などの客観性のない党派的イデオロギー用語が多数混入している。
A「政治思想の理解」人間は現象を概念、価値観、論理によって考えるが、二十世紀はイデオロギーの時代といわれ、政治思想により価値観や論理が操作され正当化された。したがって、当時の歴史を理解するには主要な政治思想である共産主義、民主主義、民族主義、ファシズム、ナチズムについて、その概要を知っておくことが必要である。
歴史用語についても知っておきたい。
【大東亜戦争とは】――――第二次大戦のうち日本に関係した戦争をいう。その内容は支那事変、日米戦争、アジア解放戦争、日ソ戦争である。日本の歴史と世界への影響をみると空前絶後の巨大な戦争である。
【支那、中国、中共の区別について】――――日本人の間に支那と中国をめぐり用語表現に混乱がある。支那は固有名詞、中国は世界の中心という普通名詞である。中共を中国と呼ぶと、自動的に華夷秩序に組み込まれ日本は東夷ということになる。したがって現代の中華人民共和国は「中共」と呼ぶのが良いだろう。とくに日本は国内に中国地方があるので混同を避けるべきである。日本の歴史研究は基本的に歴史的な名称をそのまま使うことが大切である。考古学における遺跡の復旧保存と同じである。
近代史では「中国」呼称の乱用による概念の混乱を避けることも大切である。たとえば、支那事変当時の複数の政治勢力を一律に中国と表記すると区別ができなくなるので、それぞれの軍閥の固有名称で正確に区別する。
【ソ連とロシアの区別】――――ソ連は共産党支配時代のロシアのことである。帝政ロシアを滅ぼして一九二二年に成立したが、一九九一年に七十年の暴政の結果、自滅した。ソ連は共産党の独裁者スターリンの国民迫害、強制労働制度などその公然たる犯罪政治により、伝統的ロシアとは区別される。
【歴史資料の引用と注意】――――本書では筆者が参考にした歴史情報や読者に知っておいてほしい歴史資料を紹介してあるが、原文は長いので抜粋要約した。
したがって文責は筆者にある。正確には原本を読んでいただきたい。