兵隊さんに愛されたヒョウのハチ

祓川 学 作  伏木 ありさ 画 2018.06.26 発行
ISBN 978-4-8024-0058-9 C8093 A5上製 160ページ 定価 1540円(本体 1400円)

プロローグ

兵隊さんに愛されたヒョウのハチ

雲ひとつない青空からふりそそぐ太陽は、花壇に咲く大輪の向日葵を照らしています。その姿はまるで楽しく会話がはずんでいるかのようです。
ミーン、ミーン
セミのけたたましい鳴き声が響く中、道幅が広い道路は車や自転車が行き交い、路面電車もガタンゴトンと音を立てて走っています。
八月上旬、ある日のこと。
高知市の中心部から車で一〇分ほどの場所にある、子どもたちの遊び場ともなっている『高知市子ども科学図書館』の一室は、おでこからは汗が吹き出だし、体操座りをして紙芝居を見つめる大勢の子どもたちで埋めつくされていました。
「ある日のことです。成岡さんを真っ先に出迎えてくれるハチの姿が見えません。部屋のかたすみでハチはうずくまって苦しんでいました。首のあたりが大きく腫れあがっています。
ハチ、いったいどうしたんだ
成岡さんはあばれるハチをやっとのことで押さえつけ、するどい牙が生えている口の中に、自分の手を入れたのです。
ぐうぅ・・・=v
紙芝居を読む図書館の指導員の横には、ガラスケースの中でいまにも飛び出してきそうな、目をぎょろりとさせた大きなヒョウのはく製が飾られていました。
この図書館では、日本が終戦記念日の毎年八月十五日前後に年一回のみ、地元高知市の子どもたちに紙芝居の読み聞かせイベントを開いています。戦争を知ること、そしてその大切さを学ぶ場として、数年前から行われています。
子どもたちは紙芝居に、かわいい子ヒョウが登場するたび、身を乗り出してお話に夢中になっていました。読み聞かせが終わると、子どもたちはヒョウの似顔絵を描いたり、感想文を書くなど、そのとき感じた気持ちを伝えていました。
実はこの絵本のお話は、いまからさかのぼること七十七年前、中国の山奥で、一頭の野生のヒョウと日本の兵隊さんたちが心を通わせたという、実際にあった物語です。
         
昭和十二(一九三七)年七月、中国で起きた盧溝橋事件をきっかけに、日本と中国の間で支那事変(日中戦争)といわれる戦争がはじまりました。日本軍は兵隊を増員するために多くの男子に召集令状を発令し、戦争にかりだしました。
この物語の主人公、成岡正久さん(当時=二十五歳)も日本軍の兵隊として戦地へと向かうことになりました。
高知県で生まれ育だった成岡さんの身長は一八〇センチをゆうに超え、肩幅も広くて、筋肉隆々でたくましく、立派な体つきをしていました。大学生のころはハンマー投げの選手として全国大会にも出場するほどのスポーツマンでした。
成岡さんの配属先の部隊は、別名くじら部隊≠ニ呼ばれていた歩兵二三六連隊第八中隊の第三小隊でした。高知県は海が近く、くじらがいた海域でしたから、そう呼ばれていたといいます。
小隊長を命じられた成岡さんは、高知駅から列車に乗り、香川県の坂出港に着くと、船で中国の戦地へ向かったのです。今の時代のように外国へ行く交通手段はまだ飛行機ではなかったのです。
中国でのくじら部隊の任務は、「作戦」と「警備」の二つでした。「作戦」は、敵と戦い、相手を撃破し、地域を占領することでした。「警備」は占領した土地を放っておけば、また敵の手に渡ってしまうため、戦いながら死守をすることでした。
中国に入り、各戦地を転々と移動していた昭和十四(一九三九)年十月のことです。
くじら部隊≠フ次の任務地は、中国の内陸地を流れる長江の中流域に位置する湖北省陽新県と大冶県の県境ざかいにある銅山『牛頭山』でした。長江(河口付近は、揚子江とも呼びます)は全長六三八〇キロメートル、中国ならびにアジアで最長となり、世界では第三位になります。第一位はナイル川(六六九五キロメートル・アフリカ)、二位はアマゾン川(六五一六キロメートル・南アメリカ)です。
くじら部隊は上海の埠頭から出発する輸送船に乗り込み、長江を約七日間かけて上り、牛頭山を目指しました。

成岡さんはそこで、一生の友ともいうべき、一匹の動物と出会うことになるのです。




目次

プロローグ 中国へ、くじら部隊出発
第1章 牛頭山 子ヒョウとの出会い
第2章 命名 『ハチ』
第3章 ハチが決闘!
第4章 お別れのとき
第5章 日本へ引っ越し
第6章 戦争による猛獣たちの悲劇
第7章 ハチとの再会
第8章 ヒョウのおじさん
エピローグ ハチ復活へ
おわりに


 

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