今、日本と韓国とのあいだで、戦争中の性犯罪が問題とされている。いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる問題である。そこでは、「強制連行」や「性奴隷」といった言葉が飛びかうが、この問題に関しては、慰安婦をどのように「強制」したのか、その強制性に絞って議論すべきであろう。つまり、強姦、人身売買、拉致、といったことが、慰安婦問題の核心なのである。
以下は、こうした慰安婦問題の動きを、年表にしたものである。
1982年9月2日 朝日新聞が吉田清治氏の講演を掲載
1983年7月31日 吉田清治・著『私の戦争犯罪』(三一書房)出版
1990年11月16日 「韓国挺身隊問題対策協議会〔挺対協〕」設立(代表・尹貞玉)
1991年8月11日 朝日新聞の植村隆記者が「元慰安婦」の証言を公表
1992年1月16〜18日 宮沢喜一首相が廬泰愚大統領に八回謝罪
1993年8月4日 河野洋平官房長官が「河野談話」を発表
1995年7月19日 日本政府が「女性のためのアジア平和国民基金〔アジア女性基金〕」を設立
1996年6月 国連人権委員会で「慰安婦」の数を二〇万人とした「クマラスワミ報告」
1997年1月15日 金泳三大統領「アジア女性基金」に遺憾
2002年5月1日 「アジア女性基金」韓国国内での活動終了
2005年3月1日 廬武鉉大統領、三・一節の演説で「慰安婦問題」に言及
2007年3月31日 「アジア女性基金」解散
2011年8月30日 韓国憲法裁判所の判決「元慰安婦へ補償を」
2011年12月14日 「挺対協」が日本大使館前に慰安婦像を設置
2014年6月20日 日本政府が「河野談話作成過程」の検証結果を公表
2014年8月5〜6日 朝日新聞が吉田清治氏に関する記事を取り消し
この年表を大学の講義で学生たちに見せたところ、韓国からの留学生たちが一斉に声を上げた。彼らは、宮沢首相が廬泰愚大統領に八回も「謝罪」したことも、河野官房長官が韓国に迷惑をかけたことを深くお詫びすると「謝罪」したことも、全く知らなかったという。だとすれば、日本国の総理大臣による八回もの謝罪は、いったい何だったのだろう。
慰安婦問題で韓国は、日本に謝罪を求め続けたいという気持ちが常にある。これは、韓国政府やメディアにバイアス(偏り・傾向)があるということを意味する。メディアというのは、客観的な報道が命であるはずだが、これはどういうことだろう。
実は、メディアにはそれぞれ偏向があるのである。新聞や雑誌でも、「右」と「左」が決まっている。私が北朝鮮で撮った映像を学生や市民に見せると、「メディアの映像と違って新鮮だ」と言われる。アメリカのトランプ大統領は、自分に気に入らないように編集されるメディアを「フェイクニュース」と言い切って、直接ツイッターなどで投稿するが、私には、その気持ちが十分に理解できる。
私は、朝鮮半島の、三八度線近くの南側にある小さな村で生まれ、一〇歳のころに朝鮮戦争の悲惨な状況を体験した。そこでは国連軍兵士による性暴行があり、それを防ぐために売春婦たちが村にやってきた。彼女たちは、いわば「韓国の米軍慰安婦」である。私は、こうしたことについて深く考え、読者に向けて語りたいと思っている。
当時の私には、反戦思想のようなものはなかった。つらく、怖く、そして一方では面白い、そんな混乱した心理だった。こうした複雑な思いを背景に、「朝鮮戦争」、そして「戦争と性」というものについて、考えていきたいと思う。
※本書は、平成二六年に当社から刊行された『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を再構成の上、増補改訂したものです。