日本国を初めて離れたのはフルブライト留学生として『氷川丸』で米国へ渡った1959年であった。その時は、早くから日本国の真の独立を訴えて言論活動を始めた小室直樹氏と共に乗船し、シアトルで下船しそれぞれの目的地に向かい、私はプリンストンに到着した。私は戦後日本の復興を考えて都市計画や経済学を勉強したのであるが、大学で教鞭をとることに一区切りをつける前に、まだ重要なことをやり残していることに気がついた。
日本国は経済的には高所得国の仲間に入っているが、政治的には自立からは程遠く、いまだに米国に自国の防衛を依存し、日本人は二十世紀の前半では侵略戦争を引き起こしたと思い込み、アジア諸国に謝罪しなければならないという罪悪感を持っている人が多いという事実に気がついたのである。その後研究をするにつけ、このような自虐的歴史観は、東京裁判などの占領軍による洗脳政策によるもので、歴史的な事実から乖離していると結論するに至った。
そこで、2006年に、まだ南カリフォルニア大学のビジネススクールで教えてきたが、ロサンジェルスの日本人有志を集めて日本の近現代史の勉強会を始めた。大正時代から昭和の歴史に関しては、日本では殆ど教えられていない。従って、皆にとっては新しい分野であった。さらにその頃は旧ソ連の崩壊によってソ連の謀略の事実が明らかになり、『誰も知らなかった毛沢東』が出版されたり、今までに知られていなかった戦前・戦中のアメリカ内にはびこっていたソ連のスパイとコミンテルンとの暗号通信が、高速コンピューターによって解読されるなどの新しい情報(ヴェノナ文書と呼ばれている)が入ってくる時期にも巡り合ったので、当時の情報がかなり豊富に入手できた。
この勉強会には常時20余の参加者が集まり、毎月一回集合して、特定の書物について討議した。当時の日本は自民党が不安定で、民主党政権が出現した時期でもあり、日本の将来は極めて危険な状況にあったので、その会を「日本再生研究会」と名づけた。そして、会における議論の結果などを踏まえて、有志が著書を書くことになり、『マッカーサーの呪いから目覚めよ、日本人』が2012年に出版された。
日本は侵略を目的として戦争をしたのではない、やむを得ずに戦ったのである。東京裁判は、国際法には何らの根拠のない、無謀な裁判である。この戦争のおかげで多くのアジア、アフリカの植民地が独立を達成することが出来、日本は戦争には負けたが、その目的は達成された。この本は日本人は自信を持つべきであるという趣旨で書かれている。
その後、私自身でこの問題をさらに研究し、日本を挑発するために米国大統領のフランクリン・ルーズベルトが具体的にどのような戦争準備をしたか、どのようにして日本を挑発したかをさらに細かく検討し、その策略を明らかにした。
ルーズベルトが戦争を計画したという文書を発見することは困難であるが、彼が実行した事柄から推考して、彼が戦争を計画したことは明らかである。第4章にそれが詳述されている。これらの事項は米国においても初めて明らかにされるものである。さらに、連合軍の占領政策について総合的に見直してのが第6章である。この占領政策は、日本国が二度と再び米国に立ち向かわせないために、日本「去勢」計画で周到に用意され見事に実行されたのである。その結果、日本は無限に「お人よし」の国になり果てたのである。
この二つの章を柱として日本の戦争体験を再構築したのがこの書である。本書は、ペリーの軍事的脅威による開国要求から引き続いていた日米の対立の背景の中で、日本とアメリカがどのようにアジア諸国に対応してきたか、どのような利害の対立が起こったか、どのように夫々は解決しようとしたかなどが書かれている。
占領政策において実施された言論統制、国家的書物の排除、裁判による有罪宣告などは、日本の国家としての特徴を抹殺しようとしたまさに犯罪的な行為である。日本国民はその事実を深く認識して、日本国の伝統的な特性を取り戻し、積極的に世界の平和と協調のために参加することを著者は切望し、この著書がそのために何らかの貢献をすることを希望している。