日本と韓国は共に近代化に成功し、自由民主主義の価値を共有しているにもかかわらず、何故未来への協調に失敗しているのか。何故日本と韓国は過去の歴史問題の清算に至らず、若い世代まで歴史問題の対立に巻き込んでいるのか。
私が日本に来て驚いていることはいくつもあるが、その第一は、日本人が過去の植民地支配に対する負い目意識を世界中のどの国より一番強く持っていることである。
日本人の恥の文化、潔癖性、潔さ、実直性、遵法精神などは、日本人が誇るべき特性であり、文化であり、伝統であり、歴史である。私はこの精神文化に対し深い尊敬の念を持つものである。
しかしながら、同時に私は日本人の精神文化の中には、至る所に行きすぎがあることに注目している。例えば、日本でのコンプライアンスである。行き過ぎてかえって融通性、伸縮性を失い、閉塞感を感ずるとか物事に臨機応変に対処することができないことがある。
日本人の意識構造とは裏腹に、植民地支配の本家である西洋人には負い目の意識などは微塵もない。むしろキリスト教文明の恵沢に浴させてやったという気持ちさえ持っている。ましてや謝罪を要求しようものなら、怪訝な顔をして反発するだろう。
植民地統治を受けた多くの国々では、かつての宗主国に対して友好的であるばかりか、尊敬を払う国も多く存在するという事実がある。朝鮮半島と中国だけが、過去の歴史を今に至るまで引きずるのは果たして妥当なことであるのか、深く反省すべきではなかろうか。
今でも韓国と台湾では、日本統治時代を肌で覚えている老人たちが集まれば、「日本時代は秩序があり、弱肉強食ではなかったね。あの戦争さえなかったら良かった」という嘆きの声を聞くことがある。権力と金には関係のない日本統治を受けた人々の声である。天の声ではなかろうか。心して聞くべきである。
朝鮮半島は今も危機的状況にある。北朝鮮の赤化統一の脅威もさることながら、憂慮すべきは韓国の内部崩壊である。在韓アメリカ軍の存在と、日本統治時代を生き抜き朝鮮動乱を戦い抜いた我々愛国老兵を中心とする保守愛国志士達の抵抗によって、辛うじて持ちこたえているという状況である。日本とアメリカの、より積極的な朝鮮半島への関心と支援が求められる所以である。韓国併合百年の歴史的エネルギーが昇華し、日韓の和解、そして揺るぎない日米韓三国同盟実現への歴史的指導力として発現できないものであろうか。そのことを切に期待して止まないものである。