「敗走千里」の著者、陳登元君は、初め、同書の上梓に当たって、さらに第二部作の執筆を私との間に約束した。そのうち原稿を送るから、よろしくその校閲整理、ならびに出版の労を頼むというのだった。爾来六ヶ月、同君からは杳として消息がない。無論、約束の第二部作原稿も来ない。一体どうしたのかしら? とは、啻に〔単に〕私と教材社一統との、両者だけの疑惑に留まらなかった。読者諸賢から盛んに、第二部作はどうしたのか? という問い合わせが来るのである。けだし、「敗走千里」の序文において、ちょっぴりと、これが連作の一部であることをほのめかしてあったからである。
私の予想した通り、「敗走千里」は果然、読書界に対して一大センセーションを起こした。その直接の反響は、幾何級数的に激増する発行部数と、読者諸賢からの津波のごとき激賞ならびに第二部作要望の声となって如実に現れた。それは「敗走千里」刊行後、間もなくの現象だった。私からはもちろん、陳君に宛てて矢のごとく激励催促の電文書信を発した。しかし、それは徒労に終わった。私の胸に忽然と、ある不吉の影がさした。「敗走千里」の影響力を恐れた国民政府の回し者が、秘かに得意のテロによって、陳君を片づけてしまったのではないか──ということである。が、それはあくまでも私の胸に浮かんだ、ただの幻影であって、なんの確証もあるわけではない。したがって、あくまで私の一片の杞憂に過ぎないものであることを信ずるものであるが、ここになんとしても、いつ出現するか分からない陳君の出現を便々と〔いつまでも〕待っていられない事情が起こって来た。教材社主、高山氏から矢のごとき二部作督促が、逆に、私に向かって殺到し始めたことである。その高山氏の矢のごとき督促の背後には、読者諸賢からのこれまた怒濤のごとき督促の矢が放たれていることは、これまた言うまでもないことである。板ばさみの苦境に立たされたのは私である。私はここに一大決心の必要に迫られて来た。「敗走千里」に使った残余の材料によって、別に、一篇の稿を起こそうというのである。その決心を得るや否や、私は鋭意、新しい材料の蒐集と、陳君の残してくれた材料の整理按排に肝胆を砕いた。そして、ここに見るような「督戦隊」の一篇を完成した。
この「督戦隊」を完成してみて、私のつくづく感じたことは、今さらのごとく、陳君の「敗走千里」がいかに優れた戦争文学であるかということである。陳君の「敗走千里」を読んでいると、それ自身いかにも漂渺とした〔広々とした〕大陸的味があるし、それに読者自身、いつの間にか日本軍に追撃され、血だるまとなって逃げ回っている敗残兵ではないか──といったような、悲痛を極めた錯覚を起こすことで知れる。だが私は決して、くだらない謙遜はしないつもりである。陳君の「敗走千里」と、私のこの「督戦隊」と、いずれが優れりや、あえて読者諸賢の批判を乞うつもりでいる。
が、それはそれとして、陳君は最初、素晴らしい材料はまだまだ山ほどある、大いに期待して欲しい、ということを言って来ていた。本篇の成るに及んで、陳君の稿を待つこと、さらに切なるものがある。
由来、支那という国は、我々日本人の眼から見て、想像に絶したことの平気で行われる国である。早い話が、今度の事変に関連して、我々の眼に、耳に、始終触れるところの「督戦隊」という制度組織である。第一線に立って、始終生命の危険におびやかされ、対敵行動をとっている友軍の背後にあって、機関銃、小銃、迫撃砲、ありとあらゆる武器をその背中に突きつけ、さァやれ、さァやれ……と叱咤激励している、日本なぞでは絶対に見ることの出来ない特殊軍隊の存在である。そして、いざ敗走と見るや、遠慮会釈もなく、その自らの血肉同胞に向かって機銃の掃射、小銃の一斉射撃、手榴弾の雨を、これでもか、これでもか……と、その鼻面の向きの変わるまで叩きつける。また彼らのあるものは、自らの退却を安全ならしめんがために、戦友の一部を塹壕に、トーチカの中に、鎖つなぎにして敵の攻撃に備えしめ、自らは尻に帆をかけて逃げ出す、等々、我らの貧弱な頭では想像することも出来ないような芸当を平気でやってのける。そればかりではない、近頃問題になっている黄河の堤防決壊とか、敗走に当たって井水中に毒薬細菌類を投入するとか、あるいは日本軍の便益を阻害する目的から自国民の家屋食糧を焼却したり、その目的のために手段を選ばざる体の行動を平気であえてしている。彼らのそうした常套手段から想像すると、塩の欠乏に苦しむ敵国へ多量の塩を贈ってやったり、戦闘なかばに刀杖の折れた相手方に、代わりの武器をとるまで攻撃を待ってやったり、等々の、幾多戦争美談を持つ我ら日本人とは根本的にその人間が違っていることを感ぜしめられる。しかも、これらのことは、その代表的な一、二例にしか過ぎない。彼ら支那人の民族性の中には、それから軍隊組織の中には、大雑把にいま述べた残虐性と利己主義的性格のほかに、さらにその特殊組織のほかに、想像以外の複雑多岐を極めた派生的現象が、今次事変を通じて至るところに展開されている。しかもそれら現象は、生きた軍隊と民衆の生活の中にだけ見られるものであって、日本軍によって占領された灰燼の中には、その一片すら見出せないものである。もしあったとすれば、それこそ砂漠の中のダイヤモンドである。陳登元君は、消息不明となる数ヶ月前、その私信の中に貴重なそれらダイヤモンドの二、三個を封じこんで送って来てくれた。それと、「敗走千里」の残余の材料を骨子として書き上げたものが、つまり、この「督戦隊」であるが、この「督戦隊」の中には、そうした誰でもが容易に見ることの出来ない砂漠の中のダイヤモンドを展観するという以外、もう一つ別の目的を持っている。それは、支那人というものが、だいたいにおいて利己的で、うぬぼれ根性が強くて、物質欲が旺盛で、口舌の雄で、嘘つきで、残忍性を持っていて、その点、直情径行、潔癖性に富む我ら日本人とは徹頭徹尾、肌あいの合わぬ民族であるが、そうした彼らの中にも、まれには、野獣には見られない美しい人間性の発露を見ることがある。
我々は今、あらゆる犠牲を払ってこの民族と戦っている。何がために戦うか、理由は明らかである。彼らを絶滅するがためではなくて、彼らとの共存共栄を願うからである。が、彼らが利己的ばかりの人間であり、口舌ばかりで真実性のない人間であり、残忍性ばかりの人間であるならば、いかに戦ったところで、絶対に意志の疎通を見ることは出来ないだろう。が、彼らは一面において、そういう日本人とは肌あいの合わぬ性格の持ち主ではあるというものの、その反面には、真実を愛し、平和を愛する、人間らしいところを持っている人間でもあるのである。そこに、彼らを膺懲する〔こらしめる〕戦いの張り合いもあり、意義もあるのである。が、彼らのその兇暴性、残虐性というも、実は、長い間の生活環境が後天的の性格に作り上げたと見られる場合も、ままあるのである。全く、彼らの場合にも、その生活環境が悪かったことは、うなずかれる。長い間の国内不統一、軍閥間の闘争、官権による法外の搾取、匪賊による生活の脅威、人的以外の自然の暴虐、等々、数え上げたら限りがあるまい。その上、彼らは一部権力者の誤まれる指導精紳によって、その方向を見失っているのである。彼ら民衆こそ、全く、あわれむべき存在なのである。
この「督戦隊」は、今次の事変を通じ、それを背景として彼ら民衆を描かんとしたところに、その意図がある。「督戦隊」中に活躍する主要人物──方家然や、秀蘭や、徐中尉や、鮑仁元や、戦利品の密買者や、それらは、いま言った民衆の選手たちである。筆者の意図が成功したか、失敗したか、「督戦隊」は、すでに筆者の力の及ばないところに行っている。この上はただ、読者諸賢の批判をお願いするばかりである。