2019年夏、密林を中心とした森林火災がやまぬ南半球のアマゾン流域が酸素を産み出す「地球の肺」であるならば、反吐が出そうなくらいに嫌な臭いに覆われているのが、「北半球の焼却炉」とも言うべき北京である。その破壊力はすさまじい。エコノミスト誌の調査では、1990(平成2)年から2050(令和32)年の間の中国によるCO2(二酸化炭素)排出量は、産業革命の始まりから1970(昭和45)年までの全世界の累積排出量とほぼ同じ、約5千トンに達すると予測されている。
こぎ続けなければ倒れてしまう自転車のように、成長し続けなければ瓦解してしまう中国共産党独裁政権にとって、環境は二の次である。政権維持のためには、地球が窒息しようが息絶えようが、われ関せず。あたかも、ガン細胞が宿主を殺すがごとくである。今も福岡市は、毎日のようにPM2・5の予報をやっている。ほとんどが中国由来であろう。
何より恐いのは、環境対策をおざなりにして成長ファーストに突き進む中国が、早ければ2049年、その夢を実現することだ。中国中心の世界では、主人の言うことを何でも聞く中小独裁国家が跋扈し、これらの国々も、中国の成長優先、環境破壊モデルを踏襲するであろうことだ。
ぷっくらと身が肥え、何を食べさせて育てたのか分からぬ中国産の養殖うなぎや、かつての毒入り冷凍ギョーザに代表されるまでもなく、食の安全や環境保護はますますないがしろにされ、より多くの国が環境汚染の被害にさらされることになる。誤解されないように言っておくが、中国産の養殖うなぎが毒だと言っているのではない。何を食べさせているか、消費者として店頭で買うときには、そこまで分からないという意味である。
陸海空に宇宙、サイバー、電磁波といった空間で覇権を確立する中国に対し、自由世界の打つ手がなくなったとき、わが国は完全に中国の属国と化し、2級市民に成り下がるだろう。そんな中国一強の世界は想像したくないし、決して「私たちが心待ちにする未来などではない」はずだ(前出ピルズベリー氏)。
今回、第七章こそ、近未来を想定したフィクション仕立てにしている。だが、その他の章はすべて、行くことのできる現場には行き、筆者が直接見聞きしたことをまとめたものだ。この書を手にとった方は、いま日本や世界で何が起きているのか、そして、第三章で取り上げた長野朗の分析によって、中国人(支那人)の民族性や共産党の企てについても、多少なりとも分かっていただけたかと思う。
本書では、チャイナ団地での騒音や外国人による医療費のタダ乗りといった社会福祉詐欺のほか、中国による一帯一路のターゲットにされた北海道釧路市や苫小牧市、中国を主とした外国資本による北海道などでの土地の爆買い、大阪・西成区の新中華街構想──などを取り上げてきた。
彼らに共通するのは、表向きは合法的なビジネスとして経済活動を行っていることである。それを不安だ、懸念だと日本人にあれこれ言われても、日本占領、地域のチャイナ化など、裏の目的を持っていない中国人にとっては、迷惑以外の何ものでもないだろう。仮に戦略的に裏の目的を持っていたとしても、日本の国内法に違反しないのであれば、たとえそれが不適切な行為であっても、日本人から何かを言われる覚えはない──と反論したくなるだろう。
つまり、結局は、われわれ日本人の問題なのである。医療費のタダ乗りなどは、合法とはいえ、明らかに不適切で、保険料をきちんと払っている日本人からみたら公平さを欠く。それは、法律が目の前の現実に追いつかず、未整備のまま放置されているからである。
今、少なくない人が、わが国の置かれた危険な立ち位置に気づき始めている。ざわざわした嫌な予感は、いずれ目に見える脅威となって現われるだろう。そのとき慌てても遅いのである。ノアは、雨が降る前に箱船をつくったことを、今いちど想起してほしい。