『古事記』も『日本書紀』も、西暦八世紀に編纂された新しい歴史の書である。これを狭義の神話としてあつかい、とくに神代の部を、作り話・虚構として一挙に否定してしまうことは一種の暴挙であり、きわめて非学問的な態度だと私は考える。それ以前に約十万年と言われる日本人の長い生活と文化があった。
すでに、『記紀』より数世紀前に、シナでは司馬遷の『史記』が書かれ、ギリシャではホーマーの『イリアッド』、『オデッセイ』が、ユダヤでは、『旧約聖書』が書かれていた。その他、今は消滅し去った、または未解読の古代諸民族の史書は二、三にとどまらぬ。
『史記』の三皇五帝や夏・殷・周王朝の実在を否定し、ホーマーの叙事詩や『旧約聖書』の記述を作り話として無視することは、十九世紀以来の世界的流行であったが、日本では、この否定的実証主義の流行は敗戦を機として一般化し、特殊な政治的潮流と手をにぎって、『古事記』も『日本書紀』も読むに値しない作り話として洗い流してしまった。
考古学書は読むが、『古事記』は読まぬ学生や知識階級が大量に生産された。彼らは『記紀』の神代編はもちろん、崇神天皇または応神天皇以前の天皇の存在は、考古学と戦後史学によって決定的に否定されたと無邪気に信じこんでいる。しかし、学問の道は遠く、そして深い。まだまだ、神武天皇をふくむ九代の天皇は実在しなかったとか、神武即崇神天皇説、天照大神即卑弥呼説、騎馬民族征服説などは、多くの仮説と推測の中の一つにすぎず、これを軽率に信じることは、自ら学問の扉を閉ざして、偏狭な政治的イデオロギーの囚人となることを意味する。
考古学は史学の敵ではない。ホーマーの叙事詩を信じることによって、トロイの遺跡が発見され、殷墟の発掘によって『史記』の真実性が逆証明され、『旧約聖書』の記述が考古学と手を結ぶことによって、多くの古代文明の実在を実証しつつあることは、人の知るとおりである。
くり返すが、『古事記』も『日本書紀』も歴史の書である。すべての民族の古代史が神々と切りはなせないのと同じく、日本古代史でも多くの神々が活躍する。日本の神々の人間くささは、ギリシャ神話や北欧神話以上とさえ言える。この意味で、日本古代史もまた神々の物語であると同時に、人間の歴史である。
神武天皇の実在は、目下のところ『記紀』の記述のほかには実証の根拠はない。陵墓は存在するが、果たして神武天皇陵であるかどうかは疑問視されている。しかし、神武非実在論者の列挙する否定資料にくらべれば、実在説の肯定資料のほうがより多いのである。考古学と史学の今後の発展とともに、肯定の資料はさらに増加するであろう。
本文の中でもことわってあるとおり、この本は専門外の一素人の冒険である。それを私にあえてさせたのは、戦後の祖国意識破壊の風潮、おのれの生まれし国を恥じる「病症」への憂いと怒りであった。しかし、けっして根拠のない思いつき論ではない。私にできるかぎりの勉強もし、また専門の学者諸氏の研究の成果を尊重することにも、心を用いたつもりである。だが、すでに老齢、私の体力と学力には限度がある。この学問的冒険の志を正しく理解して、あとを継ぐ若き学徒諸君の出現を切に望む。
昭和四十六年十一月二十日
林 房雄