本書は、昭和十七年に発行された文部省著『初等科国語』一〜四を底本としている。戦中の三年生・四年生用の国語の教科書だが、日本人としてふまえておきたい大切なことが、やさしい言葉に濃縮されて詰まっている。
「日本人としてふまえておきたい大切なこと」の多くは、戦後教育では意図的に消し去られただけに、現代人は、本書を通じて明らかになるその内容に驚くであろう。内容を大まかにテーマ別に分けると、神話、偉人伝、神社、祝祭日、兵隊さん、尚武の精神、親孝行、自然、生き物との関わり、科学的思考といったところだろうか。通底しているのは、優しさだ。本書の根底には、一木一草にも神が宿るという日本的な自然観がある。それは、他者への思いやりに繋がり、その他者は自然ばかりか無機物にも及ぶ。
■兵隊さん
「支那の春」は、いわゆる戦後教育を受けてきた現代人には、驚くべき内容だ。日本の兵隊さんが休んでいる川べりに、支那の子ども数人が豚や羊とともにやってきてじゃれ、お菓子を食べながら、兵隊さんに教えてもらった「愛国行進曲」を歌う。「寒い冬は、もうすっかり、どこかへ行ってしまいました。静かな、明かるい、支那の春です」という結びは、平和の訪れを示唆しているようだ。
三年生の「いもん袋」では、寒い冬に戦地の兵隊さんを慮って送ったいもん袋に対して、お礼の手紙が届く。手紙には、演習をすませて帰った兵隊さんが兵舎でいもん袋を受け取り、飛び上がって喜んだこと、かき餅、干柿、栗に久々に内地のにおいをかぎ、郷土の味をみんなでいただいたなどと心温まるやりとりがつづく。
四年生の「兵営だより」では一歩進み、起床ラッパから始まる軍隊での生活が紹介される。「よくせいとんがしてありますから、いざという場合には、暗がりでも、すぐ武装することができます」は、私が陸上自衛隊の予備自衛官補の訓練で学んだことでもある。ロッカーの中のどこに何を置くかまで決められているのは、仮に本人が怪我や病気で荷物を取りに帰れなくなっても、仲間が迷わずにものを持ち出せるように。そう聞いた時には感嘆したものだが、それを四年生で学んでいたことに舌を巻いた。「兵営は、いわば一つの大きな家庭で、中隊長殿を始め、上官のかたがたは、ぼくらを、自分の弟か子のようにしんせつにしてくださいます」ともある。現代のドラマや映画では、軍隊の上官は威張り腐った態度で描かれることが多いが、なんと対照的なことだろう。
私自身、もっとも衝撃的だったのは、「大演習」だ。演習を済ませた兵隊さんが、「私の家にもとまるというので、急いで学校から帰ってきました」とある。演習を終えた兵隊たちが民泊していたことを、恥ずかしながら、私も本書で初めて知った。お風呂を頂いて「生き返ったようだ」という兵隊さんに、銃や剣を見せてもらって大喜びする子どもたち、夕飯の支度をするお母さん、新しい兵器の話に感心するお父さんの姿が生き生きと描かれ、最後は「万歳、万歳」と見送っている。軍と民の一体ぶりに、感じ入った。
■尚武の精神
海の記念日に行われる海軍の「カッターの競争」では、軍人たちの力強さを伝え、潜水艦の艦長が甥っこに語りける「潜水艦」では、「乗組員に、勇気とおちつきがたいせつだ。こうした勇気やおちつきは、子どもの時から、きたえるようにしなければならない」と精神面の大切さを説く。
「南洋」では、「あたり一面に、ぱっと白い花をまき散らしたよう」にという美しい描写とともに、スマトラの空から舞い降りる無数の落下傘を写真入りで紹介し、石油やゴムが取れるスマトラを抑えたことの意義を教える。
天皇陛下が授けてくださる「軍旗」が軍のほまれであることを学んだ二課あとに出てくる「雪合戦」では、雪の塊で築城し、その上に立てた旗の取り合いをする。こうして学んだ子供たちは、身近な遊びの中にも武勲を立てることを心におくであろう。
中でも印象的なのは、上海事変で中国軍が築いた陣の鉄条網を破壊するため、工兵三名が破壊筒をかかえて突っ込んだ実話を元にした「三勇士」だ。現実が美化され、新聞やラジオ、映画など様々な形で国威高揚に使われたという見方もあるが、何が美しく尊いか、日本人にとっての美学をまざまざと見せつける。これは、GHQにとってはまさに脅威であったろう。このような日本精神こそが、大東亜戦争の各地で米軍をして震え上がらせた根源であった。だからこそ、こうした教材は、戦後真っ先に墨塗りされ、このような死を「無駄死」とする洗脳工作へと駆り立てられたに違いない。
「千早城」「錦の御旗」では、少ない味方でも知恵と勇気で何倍もの敵に勝つことを、「とびこみ台」では、勇気をもって一歩踏み出すことの大切さを教える。
御朱印船のひとつである末次船の船長が台湾で不法な仕打ちをするオランダの長官に立ち向かう「浜田弥兵衛」も強い印象を残す。船具や武器を不当に没収したばかりか、水さえも与えず、出航も許可しない長官に、当初は穏やかに対応していた弥兵衛も、ついに覚悟を決めて短刀を抜く。銃を撃ち込んできたオランダ兵たちにも怯まず、「撃つなら撃て。その代り、長官の命はないぞ」と迫り、すべてのものを返却させた上に、堂々と出航する様には、これぞ武威だ、尊厳ある生き様だと、深く感じ入る。外圧に弱く、なにかにつけて事なかれ対応で済ませようとする、どこかの国の政府に読み聞かせたいものだ。
源平合戦を題材にした「くりから谷」「ひよどり越」「扇の的」「弓流し」では、源氏が知恵を使って戦に勝利した史実を知らしめるとともに、武人の心構えや美学を教える。
概観して思うのは、このような教科書で学んだからこそ、戦中の日本人に日本精神が培われたのだということだ。
内容も表現も美しい日本語、中でも「ブレーキ」を「制動」と表現しているのに触れ、現代の私たちが、いかに安易なカタカナ語に流されているかを実感する。
本書を通読すれば、現代日本人が失ったものの大きさを痛感せざるを得ないであろう。優しさ、尚武の精神、美学。優しいからこそ、強くなければならなかったし、強いからこそ優しくなれた。平和を守るためには、それが脅かされそうになったときには、最終的には戦う覚悟が必要だ。その覚悟を持った人間を美しいと感じるのが、日本の美学であった。「平和」を「文化」に置き換えても、また同じことが言える。
そうした心を育む教科書だったからこそ、GHQは危険視し、墨塗りしたのであろう。日本を本来の姿に戻すためにも、塗られた墨は落とさねばならない。ご存じのように、墨を落とすのは容易ではないが、幸いにも、今日このような形で復刻した。旧字は新字に、旧仮名づかいも新仮名づかいに改められ、かつての姿そのままではない。既に、そのままでは読むことが困難なほど日本語が変化してしまったことに忸怩たる思いはあるが、本書に込められた先人たちの思いを、しかと受け止め、美しい日本と日本語を受け継いでいくことのお役に立てば、幸甚である。