日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告〔会社法違反(特別背任)などの罪で起訴〕に逃げられ、海外では、アメリカ軍によるイラン革命防衛隊のスレイマニ司令官殺害で幕を開けた2020年は、年始から嵐の予感を感じさせるに十分な状況だった。
上半期を過ぎてなお、中国・武漢発の新型コロナウイルスとの戦いが続く日本だが、感染の拡大で傷んだ経済、社会、文化、スポーツといったあらゆる分野で、癒しと復活に向けて、ようやくその歩を前に踏み出した。
この間、世の中は、感染防止で密閉・密集・密接の3密を避けるため、在宅勤務(テレワーク)が当たり前となった。一人で過ごす時間、あるいは家族と過ごす時間を、かつてないほど多く手に入れた日本人は、自分の存在意義や世の中のことを深く考える時間を持つようになった。内観の時代である。
これまで当たり前だった日常が日常でなくなった。コンサートや展覧会、プロ野球やサッカーのJリーグ、高校球児が憧れた甲子園大会といった行事が、軒並み中止となった。繁華街では、いるはずの買いもの客が目の前から消えた。
まるで、少子高齢化社会が30年早くやってきたかのようでもある。それが30年後でなく、今で良かったと思う。まだやり直しがきくからだ。30年後の日本が現在に近い状態になっていたとしたら、子や孫の世代は、随分と変わった光景を見せつけられることになっただろう。
なぜなら、30年後は中国建国100年に当たるからである。世界では習近平国家主席が掲げた「中国夢」が実現しているやもしれず、さまざまなことが手遅れになっているかもしれないからである。極端なことを言えば、甲子園の決勝戦が、倭族(日本)地区代表の決定戦になっているかもしれないのである。
そうはさせないためにも、日本人はここで、しっかりとこの国の行く末を、冷静に見つめ直す必要がある。新型コロナウイルス禍は、大変な災厄をわが国にもたらしたが、この国が目指すべき針路をも照らす、好機を与えてくれたように思う。日本のみならず、世界中に随分と大きな代償を払わせるものとなったが、大きな教訓と道しるべを与えてくれたのだ。
それは、中国へ過度に依存することの危険性を、痛いほど教えてくれた。自由や民主主義といった共通の価値観を有する欧米諸国と連携し、自由で開かれた貿易体制と、新時代にふさわしい第5世代移動通信システム(5G)の構築こそ、わが国の進むべき道であるということも示してくれた。
この5G分野に関して、日本の選択肢は一つしかない。欧米との連携であり、中国との連携ではない。中国との連携を例えて言うなら、米ソ冷戦時代に旧ソ連側に与することを意味する。それだけ、国家の存続にとっては重大なことなのである。
この期に及んで、まだ「そうは言っても日中の経済関係は切っても切れないし、アメリカの言うなりになる必要はない」などと言っている人がいたら、よほど国際情勢にうといか、チャイナマネーに目がくらんでいるかのどちらか、あるいはその両方である。経済を知っているとか、知らないとか、そんな経済政策の次元ではない。ここで言っているのは、国家存亡にかかわる話なのである。
世界は今、米国と中国が互いに高い関税をかけ合いながら熱い貿易戦争を繰り広げつつ、21世紀の覇権を目指し、5GやAIといったハイテクの世界で主導権争いを演じている。だが、これは他人ごとではない。日本も当事者なのである。
両国とも、日本の貿易相手としては欠かせないパートナーではある。だからこそ、日本の政財界は、日米安保条約のもと、軍事的には米国とこれまで通りにうまくやっていきたいが、一方で中国とは、ともに商売で金儲けができれば良いと考えてはいまいか。旧式コンピューターみたいに「0か1」の2進法や、キリスト教のような善悪二元論で片づけられるほど、世の中は単純ではない。だが、さきほどの5Gと同様、米中どちらの側に立つのか、これもまた、日本にとって選択の余地はないのである。
むろん、過度の中国依存は危険だからといって、中国に進出した企業が「せーの」で「はい、みなさん引き揚げましょう」というわけにもいかないのが現実である。
であるならば、最終的には中国への依存から脱却するにしても、そのやり方として、日本の特徴を活かした、ファジーな手法をとったら良いと思う。ファジーは「ぼやけた」とか、「あいまいな」といった意味を持つ。
身近なところでは、家電製品にもその技術は活かされていて、ご飯が「ふわっと、ふっくら」炊きあがる最新式の炊飯器や、そよ風のように優しかったり、強かったり、さまざまな風を送ってくれる扇風機や冷暖房などの空調機がそうである。つまり、そのように「しなやかに」振る舞うのである。
別の言い方をすれば、モノの価格や制度の急激な変化による副作用を避ける手法として日本人が好む、「激変緩和措置」としてのデカップリング(切り離し)があっても良い。
中国が目指す世界覇権を前にして、日本に問題を先送りする時間はないが、中国依存からの脱却というゴールを国家の意思として早く決め、多少の時間をかけながらも、柔軟にモノづくり大国の原点に立ち返っていくのである。
政治的には、米国はじめ、自由と民主主義という共通の価値観を有する欧州各国やインド、オーストラリアなどの国々と連携し、決してブレないことだ。中国共産党による一党独裁に疑問を持つ中国国民との連携も、大事な仕掛けとなっていくだろう。
それこそが、日本復活の処方箋を貫く考え方である。例えば、本当に中国依存からの脱却に舵を切ることができるのか。習近平国家主席の国賓としての来日を拒否できるのか。それができずして、この国に未来はない。
対中制裁関連法が続々と成立した最近の米国と、それに歩調を合わせ始めた欧州の動きを見ていると、中国共産党による独裁体制は、環境の変化に適応できなかった恐竜のように自滅していくように思えてならない。
これは決して希望的な観測ではなく、本文でも縷々書いてきた通り、事実としてそうなるとしか思えてならないのだ。シェールガス革命で原油の完全な輸出国に転じた米国と、純粋な輸入国に落ちた中国の置かれた立場ひとつとってみても、米国がどれだけ有利な立ち位置にいるか、お分かりいただけるだろう。
入れ替わり立ち代わり為政者が変わった世界の国々と違い、皇室を戴く日本は、世界で最も長い歴史と文化、固有の文明を持つ国家である。建国百年ちょっとの中国の顔色をうかがうのは、もうやめてほしいと切に願う。
この書が、惰眠を貪る日本国民への目覚まし時計となれば、望外の喜びである。