本書は、国民学校高等科において使われる予定であった高等科国史教科書の復刻である。しかし本書は、実は復刊というより、初めての発行と言った方がふさわしい。『高等科国史』上巻は、その後の勤労動員令の本格化によっておそらくほとんど活用されることはなく、下巻は発行すらされなかったのである。『高等科国史』は、この令和三年、執筆後七十六年の時を経て、初めて世に出ることになったのだ。
『高等科国史』は、大東亜戦争の最中、将来は戦場に赴くかもしれない子供たちのために書かれた。昭和十九年という時代に、現実に戦局が不利であることは、教師はもとより、疎開や動員令のかかっている生徒たちにもわかっていたはずである。実はこの国史教科書は、そのことを隠してはいないのだ。新聞が大戦果を宣伝していたのとは逆で、本書を執筆した著者たちは、子供たちに嘘をつくことはできなかった。
その後の戦局は、東に西に苛烈を極め、特に最近の形勢は頗る重大である。今次の戦争が起死回生の戦である以上、前途なお困難を極めることは、もとよりである。戦況の一進一退は戦の常であり、意気消沈は禁物である。台湾沖の航空戦に、フィリピン沖の海戦に、既に驕敵破砕の一撃は加えられた。承詔必謹、最善の努力を尽くせば、正しき者は必ず勝つ。
そして、『高等科国史』はこう結ばれる。
われら一億国民は、皇国今日の大使命を自覚し、この一戦に一切を捧げて、最後の勝利を獲得し、速かに宸襟を安んじ奉らなければならない。正行出陣の心に学んで、先ず今日の務めに勇往邁進すべきであり、重ねて国史を修めた意義もまた、ここに存する。
「驕敵破砕の一撃」とは神風特攻隊のことと思われる。このような授業をせねばならなかった教師たち、また、その教えを受け、闘いに赴いた生徒たちについて、戦後日本は誤った軍国主義教育として、時には兵士たちの死を無駄死のように誹謗した時期があった。いや、今も本質的には言論状況の主体は変わっていない。
だが、「神国日本」という理念に、また「アジア解放」という政治的行為に、己の命を懸ける覚悟を選択し、それを実践した人々のことを、私たちは軽々しく裁断できるはずはない。
そのことをよく理解していた思想家の一人、小林秀雄は、日中戦争の時代から戦後に至るまで、一貫して次のように述べてきた。
歴史の最大の教訓は、将来に関する予見を妄信せず、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を創ってきたという事を学ぶ処にあるのだ。過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。併しその歴史的限界性にも拘わらず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。この尊敬の念のない処には歴史の形骸があるばかりだ。(小林秀雄『戦争について』)
特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批評しますね。悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立つときの青年の心持になってみるという想像力は省略するのです。その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。(小林秀雄『人間の建設』)
この『高等科国史』は、日本が神国として戦った時代の理念を引き受けた歴史的な著作である。私たちは、この時代に生き、戦い、死んでいった人々への想像力を抱きつつ本書を読むことが、歴史に敬意を払い、「その人の身になってみる」ことではないだろうか。そこからは、新しい「神国」を創造する試み、国家エゴと覇権主義、排他的な原理主義、一つの価値を強要するイデオロギーから限りなく遠い「開かれた神の国」を作り出すことが、この令和の御代の私たちの使命だという意識が生まれてくるはずである。