本書を読まれた方は、皆さんおそらく同じことを感じるだろう。
「こんなに証拠があるのになぜ政府は拉致被害者として認定しないのか」と。
この写真は法人類学の権威である橋本正次・東京歯科大助教授(当時)が鑑定し、本人である可能性が極めて高いという結論を出している。さらに警察は警察で独自に鑑定を行い、やはり同様の結果になっているのだ。また、松原仁・元拉致問題担当大臣は大臣退任後だが、在任中に藤田進さんについて、「拉致されており、北朝鮮で生存していると認識していた」旨発言している。
それでも認定しない理由は、実は簡単なことである。認定してマスコミから「なぜ今認定したのですか」と聞かれたとき、どう答えるか。「今まで分かりませんでした」と言えば非難を浴びる。「実は分かっていましたが隠しておりました」とは口が裂けても言えない。それなら時間が過ぎるのを待つに限る。待てば自分は(政治家であれ、役人であれ)担当から外れるということだ。
第二次安倍政権が始まったとき、政府は「認定の有無にかかわらず」という言葉を使うようになった。これは結局、認定しないことの言い訳なのである。
だから特定失踪者問題調査会では、政府に拉致認定を求めていない。特定失踪者家族が拉致認定を求めることには協力するが、調査会として独自には認定を求めない。それは政府の「認定の有無にかかわらず」が「救出する」ではなく「救出しない」だからである。
ちなみに、政府認定拉致被害者十七人のうち、誰も事件を知らなかったときに、政府機関ないし警察がその存在を発表したケースはない。久米裕さん、横田めぐみさん、地村保志さん、地村富貴江さん、蓮池薫さん、蓮池祐木子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、田中実さんは報道によって明らかになった。
石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんの三人については、石岡さんが札幌の実家に送った手紙がきっかけで明らかになった。田口八重子さんは大韓航空機爆破事件の犯人・金賢姫の自供、原敕晁さんは、原さんに成り代わった工作員・辛光洙の自供で拉致が明らかになった。
松本京子さんは、現在調査会顧問の妹原仁氏が地元を歩いて見つけ出したものである。
曽我さん母子に至っては、北朝鮮が頼まれもしないのにひとみさんを出してきたことによって明らかになった。
もし報道機関が報じなければほとんどのケースは明らかになっておらず、単なる行方不明事案として処理されていたろう。
また、現在平壌に住んでいる寺越武志さんは、昭和三十八(一九六三)年に叔父二人とともに能登半島の沿岸で拉致された人である。北朝鮮にいることが分かっており、家族も直接会って本人も一度は日本にやってきているのに、拉致認定されていない。警察は「法と証拠に基づいて厳正にやっている」などというが全くの嘘である。
そもそも認定云々以前に、北朝鮮にいる拉致被害者は取り返さなければならない。これは警察に責任を負わせて済む問題ではない。外交交渉も平成十四(二〇〇二)年に五人を取り返し、その二年後に彼らの家族を解放させて以来何もできていない。外交交渉でできないならば、国家の意思として全ての手段を用いて拉致被害者を救出しようとするのが当然ではないか。しかし現実には、政府にそのような意思は全く見られないのだ。
そのような状況の中で、最も苦しんできた特定失踪者家族の一人が、著者の藤田隆司さんである。それは私が解説で説明するより、本書を読んでいただいたほうが良く分かるだろう。
藤田進さんは私と同学年である。自分が満喫していた大学生活と同じ時期に北朝鮮に拉致され、その後半世紀近く帰国の道を閉ざされてきたことを考えるとき、四半世紀拉致問題に関わりながら結果を出すことのできない自分自身の責任を痛感せざるを得ない。
本書が一人でも多くの人に読まれ、拉致問題への理解と関心を高め、ひいては進さんを始めとする被害者の救出へとつながることを切に期待している次第である。
特定失踪者問題調査会代表 荒木和博