令和に入ってから、日本の領土をめぐる衝撃的な事件が多発している。その中でも日本を貶めようとする勢力は、もう怖いものがなくなったのか、あたかも「江戸時代の蝦夷地(北海道)が日本でない」ことを洗脳するかのように、文部科学省の検定によって、小学校6年生社会科の教科書が修正された。この事実は、検定委員にそのような勢力が就任していることを推測させる。
私は、かねてからロシアの南下に対する江戸幕府の蝦夷地防衛策と、北海道内に残る東北諸藩の陣屋跡地のことを見聞きしていた。この事実は、まさに江戸時代の蝦夷地が日本の領土であることの証拠である。だが同時に、その事実を日本国民のほとんどが知らないことも把握していた。それゆえに、江戸時代の蝦夷地を日本でないと印象操作をされても、文部大臣はおろか世間の大きな反論がないのである。
私は、日本の領土である北海道を守るために「江戸幕府の北方防衛努力を伝え、江戸時代の蝦夷地は日本であること」を、事実と証拠に基づいて日本国民に知ってもらう必要があると考えた。
以前、プロ野球チームの北海道日本ハムファイターズが千歳空港にバナー広告《北海道は、開拓者の大地だ》を出したとき、アイヌ協会が抗議し、日本ハムはすぐにその広告を撤去し、お詫びをHP(ホームページ)に掲載した。
今では千歳空港の国際線入口、出口の装飾は“日本人の誇り”でもある北海道独自の歴史“開拓”を表すものなど1つもなく、アイヌ文様ばかりである。外国から来る人々に、「ここはアイヌの土地ですよ」と表現しているかのようだが、これを決定したのは誰なのだろう?
今、「北海道開拓百年」を記念し、先人の苦労を称え、慰霊し、未来の発展を願って道民が浄財を寄せて建設した「北海道百年記念塔」を壊すために、北海道庁の予算がつこうとしている。これは、高橋はるみ前知事時代に方向性を出したものである。後述するように、小樽文学館では『塔を下から組む』と題し、この百年記念塔の下に髑髏を埋め込んだ作品や、百年記念塔の周りを髑髏が浮遊している作品、百年記念塔がぐにゃりと曲がって下を向いている作品などが展示されていた。これらの事態は北海道開拓を貶める者の仕業であると、多くの心ある人たちが今、抗議の声を上げている。先人への貶めを平気で行うのは、どのような人たちなのか? そして、私は情報収集を始めた。
非常に危ない北海道、そして日本の状況。特に、北海道の江戸時代は日本ではないとして、「土地をアイヌに返せ」と主張する勢力の思い通りに、事は進んでいる。だが、それに対し、異論を唱える地上波、新聞などのマスメディアはなく、政治家や研究者の動きもない。国民の大部分は、テレビ、新聞の情報をそのまま受け取り、この現状を知らないのである。
本書は、江戸幕府、松前藩、東北諸藩の北方防衛の事実を、国民の皆様に広く知っていただくことを目的に執筆した。江戸時代の蝦夷地・千島・樺太が日本であることを証明する事実を判りやすく紹介し、納得していただけるよう心がけた。そして今、日本人、あるいは日本を主語として、我が国の領土を守ろうとする時、江戸幕府、松前藩、東北諸藩の武士たちが命をかけて日本の領土として守った蝦夷地(北海道)を奪おうとする動きを止めなくてはならないと、きっと、この本を読めば思うはずだ。
この本の上梓が日本の領土防衛のために、少しでもお役に立つことができれば幸いである。
はじめに
第1章 江戸幕府の対外政策
第1節 「キリスト教禁教」の背景
・キリスト教布教と世界制覇を目指す、スペインとポルトガルの思惑が一致
・絵にかいたような日本での戦略実行
・豊臣秀吉の伴天連追放令
・江戸幕府のキリスト教禁教
第2節 国益を損なう国とは関係をもたない─いわゆる「鎖国」
・「鎖国」に至る過程
・「鎖国」政策の祖法化
第3節 領土を守る体制
・長崎奉行所 対外政策の要
・福岡藩
・佐賀藩
第2章 日本の領土確保と近代経済発展に寄与した松前藩
第1節 古代〜平安時代の資料にみる蝦夷地
・日本文化の表徴物に満ちた古代の蝦夷地
・飛鳥、奈良、平安時代と続縄文、擦文時代の蝦夷地
・奥州藤原氏は「蝦夷」統括者の位置づけ
第2節 鎌倉幕府が明確に打ち出した蝦夷地支配
・「東夷成敗権」行使─「蝦夷管領」安藤氏
・「建武の新政」後も「下国安藤氏」は「東夷成敗権」現地執行者
第3節 松前藩祖─室町時代に蝦夷地覇権を握る
・室町幕府が「下国安藤氏」を蝦夷地支配者「奥州十三湊日之本将軍」に任ずる
・南部氏の勢力が増し「下国安藤氏」衰退
・「下国安藤氏」再興と蝦夷地渡海
・「下国安藤氏」→「檜山安藤氏」─「12館3守護体制」で蝦夷地を支配
・コシャマインの戦いを制する─松前藩祖・武田(蠣崎)信広登場
・コシャマインの戦い後─蠣崎信広「勝山館」築き発展
・「松前守護」「下ノ国守護」が衰退し、蠣崎氏「上ノ国守護」一強に
・蠣崎氏「松前大館」へ移転し、「檜山安藤氏」から蝦夷地代官「判形」を得る
・「夷狄之商船往還法度」と各方面外交で「檜山安藤氏」から独立の布石
第4節 蠣崎慶広が秀吉から蝦夷地支配の「朱印状」得る─「檜山安藤氏」から独立
第5節 蠣崎(松前)慶広が家康から「黒印状」得る─蝦夷地支配が公認され松前藩成立
・1644年「正保御国絵図」の松前藩提出─自国領は日本国領土
・松前藩のキリスト教に対する対応
第6節 「商い」が経済基盤の松前藩
・「城下交易制」→「商い場知行制」→「場所請負制」へ
第7節 松前藩─北前船交易の要─近代経済発展の源
・近江商人から北前船商人へ
・北前船が運んだもの─地場産品と文化─日本近代経済発展の源
・「日本は1つの国」との意識形成を促進させた─近代国家の礎
第3章 江戸幕府の北方防衛
第1節 ロシアの動き
・田沼意次の時代
・東方へ関心を向けたロシア
・赤蝦夷風説考
第2節 江戸幕府の新たな対外政策─北方防衛
・1785年 天明の蝦夷地探検隊
・1789年 クナシリ・メナシの戦い
・1792年 我が国初のロシア公式遣日使節ラクスマンが根室に来航
・1798年 江戸幕府が蝦夷地全土大調査団を派遣
第3節 1799年 第1次江戸幕府蝦夷地直轄─東北4藩に警備命令
・第1次江戸幕府蝦夷地統治の方針
・第1次蝦夷地直轄の警備体制と統治政庁の推移
・収入源の「場所請負制」
・道路整備
・開拓《屯田の先駆け》「八王子千人同心」の警備・開拓
・1804年 蝦夷三官寺を定める
・ゴローニン事件で日露の緊張高まる
・ゴローニン事件解決で日露関係緩和─1821年 松前藩復領
第4節 領土確定のための地図作成
・1644年 松前藩「正保御国絵図」を幕府に提出
・1790年 最上徳内作成「蝦夷地・樺太・千島」地図
・1802年 近藤重蔵作成「蝦夷地・樺太・千島」地図
・伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」は蝦夷地測量から
・松田伝十郎・間宮林蔵の蝦夷地・樺太探検
・間宮林蔵─大陸に渡り海峡を確認─シーボルトが間宮海峡と名付ける
・間宮林蔵─伊能忠敬の未測量地を測量─「大日本沿海輿地全図」完成に貢献
第5節 1855年 第2次江戸幕府蝦夷地直轄─松前藩・東北6藩に分治警備命令
・蝦夷地警備体制─松前藩と東北6藩に分治警備命令
・ロシアとの国境問題交渉
・蝦夷地経営の財源
・警備・開拓のための防衛・教育・行政施設整備
・道路整備
・産業政策
・造船
・鉱山開発
・開拓
・蝦夷人(アイヌ)政策について
・箱館奉行所の終焉
第4章 松前藩・東北6藩の蝦夷地警備地をたどる旅
第1節 1821年 松前藩の復領と警備、そして終焉へ
・第1次江戸幕府蝦夷地直轄の経緯
・陸奥国伊達郡梁川での松前藩主従のくらし
・1821年 松前藩蝦夷地へ復領
・復領後の藩財政・組織改革と藩校設立
・蝦夷地警備方針
・第12代藩主 松前崇広─築城と兵制改革と砲台で警備
・1855年 第2次江戸幕府蝦夷地直轄─松前藩領縮小も3万石大名に
・我が国初の星形城郭「戸切地陣屋」
・名君 松前崇広─江戸幕府の陸海軍総奉行・老中になる
・若手藩士クーデター→箱館戦争→松前藩の終焉
第2節 津軽藩
(1)第1次江戸幕府直轄時
箱館→松前元陣屋 勤番所:砂原・択捉 警備:西蝦夷地
・宗谷警備 1807年6/7〜1808年4/22、1809年〜1821年
・斜里警備 1807年7/29〜1808年閏6/26
・『松前詰合日記』にみる津軽藩警備の苦闘
・「津軽藩士殉難慰霊碑を守る会」と「斜里町ねぷた」
(2)第2次江戸幕府直轄時
箱館元陣屋 出張陣屋:寿都
・寿都出張陣屋
第3節 南部藩
(1)第1次江戸幕府直轄時
箱館元陣屋 勤番所:砂原・幌泉・根室
(2)第2次江戸幕府直轄時
箱館元陣屋 出張陣屋:室蘭・長万部・砂原
・室蘭出張陣屋
・長万部出張陣屋・砂原出張陣屋
第4節 会津藩
(1)第1次江戸幕府直轄時
箱館元陣屋 勤番所:宗谷・利尻・クシュンコタン(樺太)
・『会津藩 蝦夷地を守る 北方警備二百年記念』にみる警備
・北方警備200年シンポジウムにおける共同宣言
(2)第2次江戸幕府直轄時
標津元陣屋 出張陣屋:斜里・紋別・宗谷・樺太
・標津元陣屋 「標津番屋屏風」にみる開拓構想
・「加賀家文書館」に残る和人とアイヌの交流
第5節 仙台藩
・史跡「白老仙台藩元陣屋跡」と資料館
(1)第1次江戸幕府直轄時
(2)第2次江戸幕府直轄時
白老元陣屋 出張陣屋:広尾・厚岸・根室・国後島トマリ・択捉島フウレベツ
・1856年 白老仙台藩元陣屋建設
・出張陣屋:広尾・厚岸・根室・国後島トマリ・択捉島フウレベツ
・樺太(北蝦夷地)警備 1860年〜1868年 出張陣屋クシュンコタン
・陣屋の暮らし
・1868年 仙台藩は新政府軍に追討される─白老元陣屋終了
・草刈運太郎の悲劇と野口屋の献身
・「仙台藩白老元陣屋資料館 友の会」─陣羽織姿のガイドが評判
第6節 秋田藩
(1)第1次江戸幕府直轄時
箱館元陣屋(北斗市七重浜)
(2)第2次江戸幕府直轄時
増毛元陣屋 出張陣屋:宗谷・樺太クシュンコタン・シラヌシ・トンナイ
白老元陣屋 出張陣屋:広尾・厚岸・根室・国後島トマリ・択捉島フウレベツ
・1856年 増毛元陣屋建設
・出張陣屋:宗谷・樺太クシュンコタン・シラヌシ・トンナイ
・秋田藩の警備
・陣屋の暮らし
・陣屋の終焉
・ボランティアガイドによる史跡紹介
第7節 庄内藩
(1)第1次江戸幕府直轄時
福山領(元 松前藩領)警備
(2)第2次江戸幕府直轄時
浜益元陣屋 出張陣屋:留萌・苫前・天塩
・ハママシケ元陣屋の建設
・庄内藩の警備
・庄内藩の開拓
・陣屋の暮らし
・陣屋の終焉
・「庄内藩ハママシケ陣屋研究会」の活動
第8節 松前藩・江戸幕府が確保した樺太を失う
・幕末・明治・日露戦争で北方領土帰属確定
・南樺太の開拓
・1945年8/9 日ソ中立条約を破ってソ連が参戦
・8/22 避難民を乗せた三船がソ連の潜水艦により留萌沖で撃沈される
・1949年まで 南樺太から40万人が引き揚げ
・第5方面軍・樋口司令官は自衛の戦いを決意、国境死守と日本人の避難を助ける
・武装解除後の南樺太・千島の軍人および関係者らをシベリアに抑留
・南樺太・千島をソ連が不法占拠
・「南樺太・千島全島を返せ」と「民間人殺戮への謝罪」を!
第5章 蝦夷地(北海道)を奪おうとする動き
第1節 江戸時代の蝦夷地を「アイヌ文化時代」とするのはおかしい
・稚内市北方記念館
・『21世紀版 白老町の文化財ガイドブック』
・斜里町立知床博物館
・利尻島郷土資料館
・北海道博物館
・松前3湊の博物館・郷土資料館は江戸時代の蝦夷地をアイヌ時代としていない
・高く評価したい『おびら歴史ものがたり』の歴史年表
第2節 「江戸時代の蝦夷地は日本かどうか判らない」とした文部省の教科書検定
・「北海道以北を『領土外』扱い 小学教科書の地図 検定で修正」
・「自民党が文科省を聴取へ 北海道以北『領土外』扱いの教科書めぐり」
・「『学校現場で適切な指導を』 北海道『領土外』扱いで文科相」
・「北海道以北『領土外』の検定意見取り消し要望 小学教科書で『つくる会』」
・まだある「江戸時代の蝦夷地が日本でない」かのような記載
・文部科学省・教科書会社の現在の見解
第3節「江戸時代の蝦夷地は日本でない」とするシンポジウム資料
第4節 今も続く北海道奪取の動き
・日ハムの「北海道は開拓者の大地だ」看板撤去を要求したアイヌ協会
・「北海道百年記念塔」が解体されようとしている
・「北海道はアイヌのもの」という印象づけ
・北海道を奪取する動き
・ハイブリッド戦争をしかけてきているロシア
おわりに
各章の主な参考文献
「江戸時代の蝦夷地が『アイヌ文化時代』というのは、おかしいのではないかしら?」と、地域のことをよく知っている方に話したことがある。その方は「専門家がそう言っているのだから、そうなんでしょう」とおっしゃった。私は「本当にそうかしら?」と思った。
というのも、以前から、蝦夷地を守るために警備していた白老仙台藩元陣屋跡、南部藩室蘭陣屋跡、秋田藩増毛元陣屋跡、史跡五稜郭内の江戸幕府の箱館奉行所、松前城資料館、江差町郷土資料館などを訪ね、江戸幕府、松前藩、東北6藩の北方防衛の事実を知っていたからである。蝦夷地の歴史から江戸幕府と松前藩のことがすっぽりと抜けている北海道の年表に、素直におかしいと思った。
そして、今のままでは蝦夷地を統治していた江戸幕府、松前藩、そして分治警備した東北6藩のことは忘れ去られ、蝦夷地には江戸時代がなかったかのようにされると思い、さらに調べ始めたところ、この「専門家」こそが、日本人の歴史認識を大きく誤らせている元凶と知ることになる。そしてさらに、以下のことに気づいた。
①江戸幕府と松前藩による蝦夷地、樺太、千島統治が明確であるのに、日本国民はもちろんのこと、 北海道民もその事実を認識していない。
②松前藩の、日本の領土確保と近代経済発展に及ぼした功績に光が当たっていない。
③「江戸時代の蝦夷地は日本でない、アイヌのもの」ということを日本人の常識にし、北海道を奪取 しようとする“超限戦”が仕掛けられている。
江戸時代を劣った、遅れた時代とし、江戸時代の功績を語らない明治維新派の策謀もあり、明治以後の歴史で扱われる江戸時代は、勝者である薩長史観で語られることになる。それが最も顕著に表れた地域が北海道であったのだ。つまり、北海道の歴史は明治以後の開拓から、という開拓史観である。そして、それ以前の江戸時代の北方防衛の事実、松前藩のアイヌとの共生による物々交換で繁栄した北前船交易など、江戸時代の蝦夷地の歴史は無視された。江戸幕府とロシアとの、千島や樺太をめぐる国境画定交渉等も、知る人はいない。かくして、北海道の歴史は明治以後の開拓から、それ以前はアイヌが住んでいた、というイメージが普及した。
そのことを体現しているのは、本書でも取り上げた、高橋はるみ元知事のアイヌをめぐる政策の数々である。政策を進める文章で、語りで、学術的定説にもなっていないのに、高橋元知事は「北海道の先住民族アイヌの方々」だけでなく、さらに暴走して「我が国の先住民族アイヌの人たち」と、はっきりと明言している。ついには、開拓百年を記念して先人への感謝と未来への発展をシンボライズした、道民の思いのこもった「北海道百年記念塔」解体を、北海道開拓150年の年に方向づけしている。
第2次世界大戦以後は、特に社会経済系、中でも歴史学者の発言・研究は、GHQによるWGIP(War Guilt Information Program:戦争への罪悪感を日本人に植付ける宣伝計画)に沿う「日本が悪い」という自虐史観に加え、マルクス経済学に基づく階級闘争史観で「統治者・支配者・強者は悪、被支配者・弱者は善」の枠組の中で行われ、その観点で日本や北海道の歴史を分析した説明が、マスコミと学会で大手を振るってきた。
この、「日本が悪い」という自虐史観に染められた歴史学者と教職員により、蝦夷地においては、統治者・支配者・強者の江戸幕府および松前藩の和人は侵入者であり侵略者、アイヌは弱者で搾取されたもの、という構図で教材が作られた。そこでは、江戸幕府のアイヌに対する眼差しは「慰撫と介抱」で、松前藩にもそれを求めており、分治警備した東北6藩も踏襲し、酒やたばこ、衣服のアイヌへの配布や、「オムシャ」と呼ばれる懇親会をしたり、天然痘の種痘を行ったりしていた善行には触れられない。全道各地にある、開拓時のアイヌの方々による協力の話にも触れない。シャクシャインの戦いが、初めはアイヌどうしの戦いであり、松前藩が仲裁をしていたのに、仲裁依頼に行ったアイヌの者が死亡したことから、毒殺されたという風説により和人500人余りが殺されたこと、クナシリ・メナシの戦いでも、最初に和人71人が殺されたことから始まったことには触れられない。悪いのは日本人、和人だから、日本人の被害は伏せられる。
地元北海道ですら、江戸時代の蝦夷地に関する教育がこのような状況であるので、まして日本全国では、である。このような認識で大人になり、議員や行政職員になるとどうなるのか。結局は「日本人は悪いことをしたのだからアイヌの人に優しくしてあげよう」という変なヒロイズムに立って、「アイヌは日本の先住民族」と学術的定説にもなっていないのに「アイヌ先住民族決議」を全会一致で国会決議したり、「アイヌ新法」に基づき、全国でアイヌ施策推進地域計画を策定させ、多額の税金を費やす施策を平気で実施することになる。
このような状況が次第に明らかになり、私は、先に述べた①〜③の事実を国民の皆様と共有し、日本人の常識としなければならないという非常な危機感をもって、本書を上梓した。本書を通じて、江戸幕府と松前藩、東北6藩によって蝦夷地、樺太、千島を“日本の領土として”守ろうとしてきた武士たちの尽力を知っていただき、“江戸時代の蝦夷地はまぎれもなく日本であった”ということを理解していただければ幸甚である。