戦後の日本では、長い間、メディア、学者、政治家たちによって中国や韓国の視点に立った報道や歴史解釈ばかりが優位を占め、大東亜戦争を高く評価したアジア・西欧諸国の指導者や識者の言葉が無視されてきた。これでは、大東亜戦争で日本の果たした役割が抹殺され、英霊が犬死になってしまうことになるだろう。そもそも、大東亜戦争の遠因は、清国が一八四二年に、英国との「アヘン戦争」に敗れた後、嘉永六(一八五三)年六月に、神奈川の浦賀沖にペリー提督の率いる黒船が現れて日本に開国を迫ったことにある。
既に、日本以外のアジア、アフリカ、アメリカの各地は、十五世紀中頃から数百年もの間、西欧列強に植民地支配され、有色人種は奴隷貿易やアヘン貿易などで塗炭の苦しみをなめてきた。この黒船来航を契機に、西欧列強の植民地支配に危機感を抱いた薩長土肥を中心とする下級士族たちは、「明治維新」を断行して近代国家建設を成功させたのである。
そして、明治政府は、日本と隣接する朝鮮半島をロシアの脅威から守るために清国やロシアと戦って勝利を収めるのである。だが、それまで日本に対して好意的だったアメリカは、日本が日露戦争に勝利すると、アメリカと太平洋を挟んだ東アジアの地域に強力な軍隊を持った、日本という国家が出現したことで、次第に敵対的な態度をとるようになっていくのである。
昭和十四(一九三九)年九月一日、ドイツ軍によるポーランド侵攻を契機に、ヨーロッパでドイツと英仏間で戦争が始まると、ドイツとの戦争に苦戦していた英国のチャーチル首相は、ルーズベルト大統領にアメリカをヨーロッパ戦に参戦させることを約束させたが、当時のアメリカの外交には、建国以来の伝統的な孤立主義の影響で、ヨーロッパの問題に干渉しないことを謳った、「モンロー主義」という大原則があったことから、アメリカがヨーロッパ戦に参戦することは困難であった。
そこで、ルーズベルト大統領は、日露戦争以降から定められた「日米通商条約」を破棄して日本への戦略物資や石油の輸出を禁止することにした。もし、アメリカがドイツと軍事同盟を結んでいる日本と戦争状態になれば、集団安保の関係から自動的にドイツとも戦争状態になるからである。さらにルーズベルト大統領は、日本と交戦中の蒋介石に支援物資を送って敵対的態度をとった。この敵対的行為は、国際法の原則から見ても明らかに中立主義に対する違反であった。こうして、日本は昭和十六(一九四一)年十二月八日に、日本を戦争に追い込んだ、欧米列強に対して捨て身の一撃を与えるわけであるが、後に東京裁判でA級戦犯全員に対して無罪判決を言い渡した国際法学の権威、インド代表のパール判事も、その判決書の中で大東亜戦争の正当性や東京裁判の過ちを明らかにしている。
日本は昭和二十(一九四五)年八月十五日に、善戦も空しく、遂に降伏を余儀なくされたが、日本が戦時中、東南アジアの各地で結成した義勇軍は、日本の敗戦後、現地に残留した日本兵とともに、再び再植民地化を図るために侵攻してきた英仏蘭と戦って独立を達成し、これによって白人中心の世界史の流れは、大きく変わるのである。
日本民族は、有史以来の大戦争で、実に三一〇万人(戦死者二三〇万人、民間人八十万人)もの人命を失って文字通り死力を尽くして戦ったのである。これだけ多くの犠牲を払った大戦争だったのに、靖國神社の英霊を「犬死だ」とか「侵略戦争の犠牲者」だと言っていいはずがない。本書に収録されたアジア・西欧諸国の指導者や識者の名言を読めば分かるように、この約八十年の間に「大東亜戦争の真実」が次第に明らかになってきた。
イタリアの天文学者ガリレオが宗教裁判にかけられて、自説(地動説)の放棄を命じられても、自説を曲げなかったように、戦後の日本人も大東亜戦争の世界史的意義や東京裁判の正体を、これから生まれてくる子孫のために伝えていかなければならないのである。
※本書は平成二十四年七月刊『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』をリサイズした普及版です。
普及版刊行に寄せて
本書刊行に寄せて
はじめに
第一部 封印された日清・日露戦争と大東亜戦争
第一章 封印された日清・日露戦争の真実
一 西欧列強のアジア侵略に対抗した日本
二 日本はなぜ日清・日露戦争に突入したのか
第二章 封印された大東亜戦争の真実
一 日本はなぜ大東亜戦争に突入したのか
二 大東亜戦争とアジアの解放
三 世界史を転換させた大東亜戦争
第二部 世界の指導者と識者が語る大東亜戦争の真実
〔タイ〕
1 ククリット・プラモード(首相)
2 タナット・コーマン(副首相・外務大臣)
3 プラ・サラス(外務大臣)
4 ソムアン・サラサス(政府顧問)
5 B・アンポン(元国軍最高司令部日タイ連絡所勤務・通訳官)
6 カセトシリ(タマサート大学歴史学教授)
〔マレーシア〕
7 マハティール・ビン・モハマド(第四代首相)
8 ラジャー・ダト・ノンチック(上院議員・南方特別留学生)
9 ガザリー・シャフィー(外務大臣・マラヤ興亜訓練所一期生)
10 ウンク・アジズ(マレー大学副学長)
11 ダトゥク=ザイナル=アビディン=ビン=アブドゥル=ワーヒッド(マレーシア国民大学歴史学教授)
12 アブダル・ハリム(大学教授)
13 ビン・モハマド・ナクラ(歴史研究家)
14 ロザリー・イソハック(副知事・コタバル戦争博物館館長)
15 ニック・モハマド(外務省情報センター所長・昭南興亜訓練所一期生)
16 サイド・フセイン・アラタス(マラヤ大学副学長)
17 モハメド・ソビー(マレーシア言論界と政界の重鎮)
〔カンボジア〕
18 フン・セン(首相)
〔シンガポール〕
19 ゴー・チョクトン(第二代首相)
〔インドネシア〕
20 スカルノ(初代大統領)
21 スハルト(第二代大統領)
22 スシロ・バンバン・ユドヨノ(第六代大統領)
23 モハマッド・ハッタ(初代副大統領)
24 アダム・マリク(第三代副大統領)
25 モハメッド・ナチール(初代首相)
26 アラムシャ将軍(第三副首相)
27 アフマッド・スパルジョ(外務大臣・サンフランシスコ講和会議首席代表)
28 ルスラン・アブドルガニ(外務大臣)
29 ブン・トモ(情報・宣伝相)
30 サンバス将軍(東欧大使・復員軍人省長官)
31 サイデマン・スハヨハディプロジョ(外務省上級大使)
32 チョウ・シン・モ(大統領特使)
33 アリ・ムルトポ(陸軍准将・大統領特別補佐官・情報庁副長官)
34 アブドル・ハリス・ナスチオン(陸軍大将・国防軍参謀長)
35 ケマル・イドリス(陸軍中将)
36 ズルキフリ・ルビス(陸軍大佐・参謀長代行)
37 シャリフ・アディル・サガラ(弁護士・南方特別留学生)
38 ブギラン・ユスフ(南方特別留学生)
39 オマール・トシン(モハマディア大学学長)
40 ヤン・ヴィダル夫人(元新聞記者)
41 ラハルジョ(全国ヘイホの会代表)
42 アリフィン・ベイ(神田外国語大学名誉教授)
43 M・ユスフ・ロノディプロ(インドネシア大使)
44 R・H・M・ハッサン・ラハヤ(最高諮問会議議員・南方特別留学生)
45 スリオ・ウィリオハディプトロ(陸軍大将)
46 アレン・M・シーヴァーズ(社会学者)
〔インド〕
47 ラダクリシュナン(第二代大統領)
48 ジャワハルラール・ネルー(初代首相)
49 ハビブル・ラーマン(インド国民軍大佐)
50 ロイ・バルダン(インド国民軍大佐)
51 S・S・ヤダバ(インド国民軍大尉・インド国民軍全国在郷軍人会代表)
52 グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
53 P・N・レイキ(インド最高裁弁護士)
54 スバス・チャンドラ・ボース(国民会議派議長)
55 ラッシュ・ビハリー・ボース(インド独立連盟の初代総裁)
56 A・M・ナイル(インド独立連盟の指導者)
57 K・サブラーマンヤム(国防次官・国際政治学者)
58 T・R・サレン(歴史学博士・国立歴史調査評議会理事)
59 M・L・ソンディ(ジャワハルラール・ネルー大学教授)
60 シシル・ボース(ネタジ記念館館長・スバス・チャンドラ・ボースの甥)
〔ビルマ〕
61 バー・モウ(初代首相)
62 ウ・ヌー(初代外務大臣・首相)
63 コドマイン(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)
64 ボーバラ(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)
65 ボー・イエトウ(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)
〔スリランカ(旧セイロン)〕
66 J・R・ジャヤワルダナ(初代大統領・サンフランシスコ講和会議セイロン首席代表)
67 サムソン・S・S・ウィジェシンハ(最高裁弁護士・スリランカ公開大学総長)
68 ソマシリ・デヴェンドラ(海軍少佐・海洋考古学者)
69 ススリパーラ・デ・シルバ(インド国民軍少佐・光機関員)
70 デシャマンニィ・P・R・アントニス(スリランカ総合病院客員上級医師)
〔フィリピン〕
71 ホセ・ペ・ラウエレル(初代大統領)
72 レティシア・R・コンスタンティーノ(フィリピン大学歴史学教授)
73 ダニエル・H・ディソン(フィリピン神風戦没者協会の創立者)
〔韓国〕
74 李光洙(「二・八独立宣言書」の起草者・朝鮮文人協会会長)
75 崔南善(「三・一独立宣言書」の起草者・満州建国大学教授)
76 崔慶禄(陸軍参謀総長・駐日大使)
77 朴鉄柱(韓日文化研究所の創立者)
78 金完燮(作家・評論家)
79 呉善花(作家・拓殖大学国際学部教授)
〔台湾〕
80 許国雄(東方工商専科大学学長)
81 黄文雄(作家・拓殖大学日本文化研究所客員教授)
82 鄭春河(台湾人元志願兵・台湾の事業家)
83 蔡焜燦(半導体デザイン会社「偉詮電子股有限公司」会長)
〔中国〕
84 金文学(作家・比較文化学者・文明批評家)
〔南アフリカ〕
85 ネルソン・マンデラ(第九代大統領)
〔アメリカ〕
86 ハーバート・フーバー(第三十一代大統領)
87 ダグラス・マッカーサー陸軍元帥(連合国軍最高司令官)
88 ハロルド・R・スターク海軍大将(海軍作戦部長)
89 アルバード・C・ウェデマイヤー陸軍大将(中国戦線米軍総司令官兼蒋介石付参謀長)
90 ジョイス・C・レブラ(コロラド大学歴史学部教授)
91 ジョージ・S・カナヘレ(ハワイ日本経済協議会事務局長)
92 ピーター・F・ドラッカー(クレアモント大学社会科学部教授)
93 ジェームス・W・モーリ(コロンビア大学教授)
94 ジョージ・フリードマン(デイッキンソン大学教授)
95 ジョン・トーランド(軍事作家)
96 レジナルド・カーニー(神田外国語大学助教授)
97 J・A・ロジャース(黒人ジャーナリスト)
98 エドガー・スノー(元シカゴ・トリビューン紙中国特派員)
99 ジェシー・ジョーズ(ルーズベルト政権の商務長官・復興金融公社総裁)
100 ハミルトン・フィッシュ(共和党上院議員・ニューヨーク州知事)
〔イギリス〕
101 アーノルド・J・トインビー(歴史学者)
102 クリストファー・ソーン(サセックス大学教授・英国学士院特別会員)
103 エリック・ホプスバウ(ロンドン大学教授)
104 ルイス・アレン(ダーラム大学フランス語教師・ビルマ戦線情報将校)
105 マウントバッテン元帥(連合軍東南アジア最高司令官)
106 ノエル・バーバー(『マラヤトリビューン』編集長)
107 バー・モウの回想録『ビルマの夜明け』に対するロンドン・タイムズの書評
〔オランダ〕
108 サンティン(アムステルダム市長・内務大臣)
〔オーストラリア〕
109 ジョン・D・レッグ(モナッシュ大学歴史学主任教授)
110 ミルトン・オズボーン(オーストラリア国立大学国際関係学科主任研究員)
第三部 封印された東京裁判の正体
第一章 東京裁判はいかにして成立したのか
一 東京裁判はなぜ行われたのか
二 マッカーサーはなぜ東京裁判を批判したのか
第二章 東京裁判の正体とは何か
一 東京裁判にはどんな問題点があるのか
二 東京裁判では何が裁かれたのか
三 封印された連合国側の戦争犯罪
四 東京裁判の本当の目的とはなんだったのか
第四部 世界の指導者と識者が語る東京裁判の正体
〔インド〕
1 ラダビノッド・パール(東京裁判判事)
2 K・R・ナラヤナン(第十代大統領)
3 マンモハン・シン(第十七代首相)
4 アフターブ・セット(駐日大使)
5 P・N・チョプラ(教育省事務次官)
6 T・R・サレン(国立歴史調査評議会理事)
7 M・L・ソンディ(ジャワハルラール・ネルー大学教授)
8 ヘランボ・ラル・グプタ(インド独立運動の指導者)
9 A・M・ナイル(インド独立連盟の指導者)
〔中国〕
10 金文学(作家・比較文化学者・文明批評家)
〔韓国〕
11 呉善花(作家・拓殖大学国際学部教授)
〔台湾〕
12 鄭春河(台湾人元志願兵・台湾の事業家)
〔メキシコ〕
13 ラファエル・デ・ラ・コリナ(駐米メキシコ大使)
〔アルゼンチン〕
14 イポリト・ヘスス・パス(駐米アルゼンチン大使)
〔エジプト〕
15 アーメド・M・リファート(カイロ警察アカデミー講師)
〔アメリカ〕
16 ダグラス・マッカーサー陸軍元帥(連合国軍最高司令官)
17 コートニー・ホイットニー陸軍准将(連合国軍GHQ民政局長)
18 チャールズ・A・ウイロビー陸軍少将(連合国軍GHQ参謀第二部長)
19 エリオット・ソープ陸軍准将(連合国軍GHQ対敵情報部部長)
20 ウィリアム・J・シーボルト(連合国軍GHQ外交局局長・対日理事会議長)
21 ウィリアム・O・ダグラス判事(連邦最高裁判事)
22 マンレー・O・ハドソン判事(連邦裁判所判事)
23 プライス(陸軍法務官)
24 ベン・ブルース・ブレークニー(東京裁判弁護人)
25 オウエン・カニンガム(東京裁判弁護人)
26 ディビッド・スミス(東京裁判弁護人)
27 ジョージ・ファーネス(東京裁判弁護人)
28 ウィリアム・ローガン(東京裁判弁護人)
29 アルフレッド・ブルックス(東京裁判弁護人)
30 ジョン・G・ブラナン(東京裁判弁護人)
31 ジョセフ・B・キーナン(東京裁判主席検察官)
32 エドワード・セント・ジョン(勅選弁護士・国際法律家協会委員)
33 ジョージ・F・ケナン(国務省政策企画室長・駐ソ大使)
34 ロバート・A・タフト(上院議員)
35 リチャード・H・マイニア(マサチューセッツ州立大学教授)
36 P・W・シュローダー(コーネル大学教授)
37 セオドール・マックネリ(メリーランド大学教授)
38 ハンス・ケルゼン(カリフォルニア大学教授)
39 ジェームス・W・モーリ(コロンビア大学教授)
40 ゲルハルト・フォン‐グラーン(ミネソタ大学教授)
41 ジョン・ダワー(カリフォルニア大学教授)
42 チャールズ・A・リンドバーグ(飛行家・陸軍大佐)
43 ビル・トッテン(株式会社アシスト社社長)
44 『ワシントン・ポスト』紙(論説)
〔イギリス〕
45 ウイストン・S・チャーチル(首相・保守党党首)
46 ハンキー卿(内閣官房長官・枢密院書記官長)
47 フランシス・S・G・ピゴット(陸軍少将)
48 マウントバッテン元帥(連合軍東南アジア最高司令官)
49 モーン卿(政治家)
50 ジョン・プリチャード(ロンドン大学研究員・国際歴史学者)
〔ドイツ〕
51 クヌート・イプセン(ルール大学学長)
52 カール・ヤスパース(哲学者)
53 ブルーノ・ビッテル神父(駐日ローマ教皇代表、バチカン代理公使)
〔フランス〕
54 アンリ・ベルナール(東京裁判判事)
〔オランダ〕
55 ベルト・ファン・A・レーリンク(東京裁判判事)
56 K・V・ウォルフレン(オランダのジャーナリスト・日本外国特派員協会会長)
〔オーストラリア〕
57 ウィリアム・フラッド・ウエッブ(東京裁判裁判長)
58 ブレナン(高等裁判所判事)
おわりに
参考文献