五・一八光州事件は、韓国現代史最大の事件である。この事件をどのように定義するかによって国家のアイデンティティと運命が左右される。「民主化運動か、それとも北朝鮮が主導した暴動なのか」。好むと好まざるとにかかわらず、われわれ韓国人はあのハムレットのようにこの難しい選択を迫られているのだ。筆者は二〇〇二年から二十年間にわたり光州事件の真相を探究してきた。
光州事件において戒厳軍の指揮官であった全斗煥は一九九五年十二月に拘束され、同人に対する刑事裁判がソウル中央地方裁判所、ソウル高等裁判所、最高裁判所で行われた。筆者はこの裁判に関わる十八万頁に達する膨大な捜査資料や裁判資料を基に研究を重ねてきたが、これらの資料を研究目的で使用したり、光州事件に関する北朝鮮の記録を入手して分析を行ったのは筆者だけであると自負している。
光州事件を勢力拡大の足掛かりとみなす政治勢力がいる。この事件は彼らにとって金城鉄壁(非常に堅固な城壁)に囲まれた聖域であり、誰一人そこに足を踏み入れようとしなかった。筆者がそのパンドラの箱を開け、光州事件に北朝鮮が関わっていた事実を突き止めたのである。全羅南道の十七の市と郡に秘かに配備されていた四十四の武器庫がわずか四時間で空になり、刑務所が五回にわたって攻撃され、光州市を見るも無残なガレキの山に変えられる二千百発ものTNTを使用した強力な爆弾が道庁で作られていた。また、銃傷による死亡者百十七名のうち、八十八名は市民が盗んだ銃器によるものだった。これらは光州にとって不名誉な事実である。そこで、筆者はこれらのおぞましい行為が朝鮮人民軍の仕業であったことを明らかにしたのである。本来なら、筆者は光州の汚名をそそいだ恩人として感謝されてしかるべきであった。ところが、驚くべきことに筆者は光州最大の公敵となってしまったのだ。
光州の人々は、筆者に百件を超える裁判を起こしてきた。ソウル中央地方裁判所で五年間にわたって一審裁判が行われたが、その間に裁判長が四度も交代した。最後の裁判長は光州第一高等学校出身であったが、筆者に懲役二年の刑を言い渡した後、光州地方裁判所に栄転した。現在事件は二審で審理されており、ここでの判決が事実上筆者の運命を決することになる。被告人である筆者は五年間で数千枚にも達する答弁書を提出した。だが、裁判所で与えられた時間内に答弁書の内容全てを陳述することは不可能であり、やむを得ず提出済みの答弁書の内容を凝縮して一冊の本にまとめ、これを最後の審判台にのせることにした。有罪か、無罪かはまさにこの本にかかっていると言っても過言ではない。
先進国には陪審制がある。だが、大韓民国にはこの制度がない。ゆえに、本書を通じて大韓民国のすべての国民の皆さんに筆者の裁判の陪審員になって頂き、公明正大なご判断を仰ごうと思い立ったのである。裁判所に提出した答弁書を書籍化するのは古今東西を通じて本書が初めてだと思う。判事も陪審員も読む本書に嘘や誇張があってはならない。国家の運命がかかった光州事件関連裁判に皆さんが陪審員として参加され、筆者の主張に真摯に耳を傾けて公明正大なご判断を下されることを切に願っている。
※本書は韓国で出版された池萬元著『5・18答弁書』(2021年、図書出版システム)を翻訳し、日本語版として刊行したものです。