本書の著者・李泰炅氏は在日出身の脱北者であり、ここに書かれているのはその半生です。
私が本書を読んでまず感じたのは「日本」でした。朝鮮半島への玄関口下関で生まれ育ち、親とともに北朝鮮に渡ってからも著者やその家族の心には常に日本がありました。
一章と二章では日本時代の、ある意味牧歌的な時代が描かれています。そして帰還事業で北朝鮮に渡ってから五十六年後に著者は再び日本を訪れるのですが、その場面は本書の終わりに近い十二章に描かれています。どちらからも筆者の日本への思いがひしひしと伝わってきます。
お父さんが北朝鮮への帰還に断固として反対していれば著者の人生も大きく変わっていたでしょう。そのまま日本に残っていれば逆に「日本」を意識することはあまりなかったかも知れません。それは著者に限らず帰還事業で北朝鮮に渡った在日の多くも同様だったのではないでしょうか。
あらためて思うのですが、帰還事業が始まった当時、民団を中心として一部にそれを阻止しようとする動きがありました。当時は自民党から共産党まで、マスコミもこぞって帰還事業に賛成する中で、反対運動はおそらく「極右」とか「李承晩の手先」とか言われたのではないでしょうか。そして実際ほとんど成功しなかった訳ですが、もしこの運動で帰還事業が中止されていれば、今考えるとそれは大変な「人道的措置」であったと思います。もちろん死んだ子の年を数えるようなものなのですが。
援助をすればその一部でも苦しんでいる人に届くだろうというのは幻想、というより偽善です。結果的に援助はあの体制を延命させ、さらに人民に苦しみを強いることになる、本書に描かれた光景はそれを訴えています。
著者はKBS(韓国放送公社・日本のNHKに該当)の対北放送を聞き、様々な情報を得ました。そしてそれが一つの動機になって北朝鮮を脱出します。中国を縦断し、途中一緒に脱北した息子さんと別れてミャンマーに入り、そこで逮捕されて留置所、さらに刑務所に送られます。釈放され韓国に入国したのは二〇〇九年三月のことでした。
その後の記述では韓国の印象、そして韓国から「母国」日本に行った話が綴られますが、この内容もまた非常に興味深いものがあります。韓国の親北勢力が騒ぐ反日と、著者が日本を訪れたときの印象の違いは今の韓国における反日を考える上でも意味のあるものではないでしょうか。
本書は著者・李泰炅氏個人の半生の記録としても大変価値あるものだと思います。しかし、私たちはこれを「大変だったなあ」「北朝鮮の人たちは可哀想だなあ」というセンチメンタルな思いで終わらせてはならないのではないでしょうか。
書いたように在日の帰国者で軍に入隊し、医大に進学し、病院長まで務めたのはかなり成功した方だと言えるでしょう。その人の視点で見てきた北朝鮮は、私たちが北朝鮮に対するとき、重要な参考書となると思います。
結局あの体制が変わらない限り著者が見てきた北朝鮮が引き継がれ、第二、第三の李泰炅が苦難の人生を歩むことになるのではないでしょうか。そうしないために、読者の皆さんが本書から北朝鮮という国家の本質を知っていただくことを期待するものです。
荒木 和博(特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学海外事情研究所教授)