ぼくはね、野良犬になるよ。
でもね、心配しないでいいよ。
この町でどうにか生きてゆくからね。
門のむこうから背の高い人が、ゆっくりと歩いてきました。
ハチは、その人のにおいで、すぐに先生だとわかりました。
「ずーっと待っててくれたんだね、そうかい、ずーっと、わたしを待っててくれたのかい」
大きな両手でハチの顔をなでまわしてから、先生はハチを抱きしめました。
「さあ、ハチ、うちへ帰ろう」
大正天皇が亡くなり、元号は「昭和」と改められました。
夕方になると、渋谷駅へのお迎えがまたはじまりました。
つぎの日は、駒場の大学で先生を待ちました。
毎日、夕方六時になると、ハチはいそいそと出かけてゆきます。
「おい、やっぱり、あいつ待ってるよ」
「バカな犬だなぁ。ご主人さまは、とっくに死んじまったんだろ。いっくら待ったって帰ってこないのにな」
※本書は平成二十一年八月八日に刊行した『ハンカチぶんこ ほんとうのハチ公物語』を改題・改訂のうえ、新装したものです。