歴史小説好きの少年の例にもれず、私もまた中学校時代から戦国時代の合戦や武将物語にのめりこみ、吉川英治、山岡荘八、そして司馬遼太郎などに読みふけっていた。どうも中学校の卒業文集か何かで、将来の夢、として「歴史小説家」とか書いたような覚えがある。もちろん、そんな文才は持ち合わせていなかったが、この時代には、何か魅力とともに大きく日本が変わる時代のきっかけがあるような漠然とした思いは抱きつづけてきた。
そして、近年、多くのすぐれた歴史書に触れる中、私なりの戦国時代を、特にキリスト教がなぜ禁じられたかを根底に考えてみたいという思いが生まれてきていた。青少年時代の私は御多分に漏れず、キリスト教禁教や鎖国政策を、日本文化が小さく閉ざされ、自由な信仰、個人の自立、神と人間、運命と人間の思想的ドラマを放棄して因襲と身分制度の江戸封建体制に向かう「反動的政策」、もっと正直に言えば「歴史をつまらなくしてしまったもの」と考えていた。それがいかに愚かで狭いものだったのか、近代や「自由」という概念を絶対視し、歴史をゆがめる視点だったのか、それを検討するのが本書の目的と言ってもよい。
本書は渡辺京二の『バテレンの世紀』(新潮社)なくして生まれなかったものである。渡辺は日本と西洋の「ファースト・インパクト」というべき戦国時代のキリスト教伝来から鎖国までの歴史を、まるで森鷗外の歴史文学のように、感情を抑えた抑制的な文体と、読み込まれた膨大な歴史資料を引用し組み合わせることによって、まるで古典劇の連続上映のように私たち読者の前によみがえらせた。
その後私は、何度か拾い読みしただけになっていたルイス・フロイスの『日本史』を通読、ここに描かれた、織田信長や豊臣秀吉の姿、そして様々なキリシタンたちの群像に感銘を覚えるとともに、やはり当時の宣教師たちの、キリスト教文明以外の価値観に対する偏見にも改めて気づかされたのである。そして、神田千里、藤木久志をはじめとする優れた歴史学者の著書からは、わが国の歴史学が着実に業績をあげていることを教えられた。
本書で行いたかったのは、まず第一に、彼ら先達たちの業績を多くの方々に紹介することである。私自身にオリジナルな知見や思想は何もない。できるのは、私なりに彼らの著書から学んだことを再構成することだけであった。それによってこの時代を生きた人々の姿が読者の皆様に伝わってくれているか否かはご判断にゆだねるしかないが、本書で紹介させていただいた文献は、ことごとく読む価値のあるものである。ぜひ読者の皆様には、拙著を手掛かりに、戦国史のさらに深い世界をたどる旅路に足を踏み出していただきたい。ただし、資料の選択やそれにつけたわずかなコメントの中に、私なりのキリスト教観や、時代への思いは込められている。
もう一つ、昨年(二〇一八年)夏、ユネスコの世界遺産委員会が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を世界文化遺産に登録することを決定したことも、本書を執筆する大きな動機の一つになった。
江戸時代の豊かな文化や、西洋のキリスト教布教が、侵略や植民地政策と密接に結びついていた歴史的事実を知るに至った今、なぜ当時の為政者がキリスト教を禁じたのかを、当時の時代背景に即して再検証することは、現在のグローバリズムとナショナリズムの対立について考える上でも大きな意味合いを持つものと思われる。潜伏キリシタンの世界遺産登録を私は批判するつもりはないし、信仰を守り抜いた人々の信念には心から敬意を表する。しかし、キリシタン大名の領地における寺院の破壊行為、強制的な改宗、そして日本人奴隷の問題などからも、やはり私たちは目を背けてはなるまい。そして本書最終章で紹介する、日本独自の信仰を守り抜いた人々が、大東亜戦争後、正統カトリック信仰に属することなく、自らの伝統信仰にとどまったことこそ、歴史遺産としての潜伏キリシタンを語る上で決して無視してはならないはずだ。
本書はまず、戦国乱世の時代の実相と、そこにもたらされたキリスト教の性格を紹介するところから始まる。まずこの二つを述べておかなければ、この時代においてキリスト教が人々にどのように映ったのかも、宣教師たちの情熱(と同時に偏見)のありかも理解できないからである。そこではまず、この時代を「自由と解放の時代」として描いた網野義彦の歴史観が批判的に検証されるとともに、イエズス会を作ったイグナティウス・デ・ロヨラの思想が紹介されることになる。
戦国乱世は、勝利した者が権利を得るという、徹底した「自己責任」「自力更生」の時代だった。ロヨラが生きたルネッサンスと宗教改革の時代も、それと似た時代であったかもしれない。この時代に生まれた「キリスト教の戦士団」たるイエズス会が、乱世の時代に日本を訪れたことは、まさに東西文明の衝突であり、そこでは様々なドラマが生まれた。だが、このような「乱世」の時代は、同時に飢餓と戦乱が続く中、民衆は時には加害者、時には被害者として、お互いの権利や財産、果ては生命までも奪い合う修羅の時代でもあった。この時代に平和をもたらしたのが、信長、秀吉、家康という三人の傑出した統治者だった。
特に藤木久志が紹介する豊臣秀吉の姿は、日本を平和的な統一国家とするために総合的な政策を構築した偉大な統治者である。そして、その「平和」のために、なぜ伴天連追放やキリスト教布教の禁止が必要だったのか、私たちは殉教者の悲劇とともに、統治者の政治的選択の意味をもくみ取らねばならないだろう。
※本書は平成31年に弊社より刊行された『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』を再編集し、普及版としたものです。