日本史を「縄文から弥生」「古墳時代」「奈良・平安」、「鎌倉・室町」、「戦国から近世」、「江戸時代」、「明治近代化以後」という時代区分にさらりと割り振って歴史教科書は綴られている。なんとも感動が薄い。年表暗記だけ、無味乾燥の叙述には浪漫の薫りも民族の夢もない。日本の音色は何かで断弦された。
歴史とは物語である。英雄の活躍が基軸なのである。
神話は「科学的合理性がない」として無視され、また神武天皇から崇神天皇の間の八代の天皇は実在が疑わしいので「欠史八代」とばっさりと葬られた。日本人が自分の国に誇りを持てない仕掛けである。
ユダヤ教の神はヤホヴァ、キリスト教はデウス、イスラム教はアラーと唯一絶対の神が存在し、人間と神との契約で社会が成立する。神話が重要視され子々孫々に伝えられ、人々は神を信じている。日本人は自らの先祖の物語を忘れ、神々を信じなくなった。
神武建国の理想(八紘一宇)はまるで説かれず、また欠史八代の綏靖・安寧・懿徳から孝昭、孝安・孝霊、孝元、開化天皇へと至る系譜やそれぞれの御陵が存在するにもかかわらず意図的に無視された。神話の実在性を裏付ける地名、遺跡が夥しく当該場所に存在しているにもかかわらず歴史学者は知らん顔をしてきた。
そのうえ「勝てば官軍」、「敗軍の将は兵を語らず」の原則に依拠し、敗れ去ったり失脚した人々は枯れ葉のなかに埋もれてしまった。こうした自虐史観の拡大とともに妖しげな外国文献に書かれた伝聞(たとえば『魏志倭人伝』の「邪馬台国」と「卑弥呼」や、『宋書』の「倭の五王」)を金科玉条のごとく正史と誤断してきた。史観の倒錯である。
『魏志倭人伝』なるものは中国の政治キャンペーンでしかない。
日本史の「四悪人」は蘇我馬子、弓削道鏡、足利尊氏、明智光秀と教えられた。よく考えてみると初歩的な疑問が生まれるだろう。いったい誰が、「悪人」と裁断したのか?
本文で詳述するが、蘇我氏を悪魔視したのは藤原一族であり、道鏡が天皇の位を狙って称徳天皇と枕を交わした等という偽造された俗説は後世のフェイク、足利悪人説は「皇国史観」の残滓、信長の売国的行為(キリシタン宣教師の日本侵略意図を見抜けず仏教に対抗する手段として布教を赦した)に明智光秀が国家の存亡に関わるとして本能寺の変を決意した。それを「主殺し」だと光秀を矮小化して「悪人」に仕立て上げたのは天下を横から簒奪した秀吉だった。正統を唱えるための政治宣伝である。後世の史家の主観の産物としての欺瞞、フェイク、自己弁護のため責任を他者に押しつける俗説は排除されなければならない。
現代の日本人が認識している歴史評価も奇怪な解釈がまだまだ多い。聖徳太子、織田信長、坂本龍馬、勝海舟らの著しい過大評価が流行する一方、ホンの一面しか論じられないのが吉田松陰や近藤勇である。偉大な功績があるにもかかわらず軽視されてきた吉備真備らがいる。また皇国史観が華やかなりし時代の後醍醐天皇、和気清麻呂、楠木正成といった“英雄”たちも忘却の彼方に霞んでしまった。
この小冊が試みるのは、「歴史をホントに動かした」英傑たち、「旧制度を変革し、国益を重んじた」愛国的な政治家、「日本史に大きな影響力をもった」人たちと「独自の日本文化を高めた」アーティストらの再評価である。時系列に歴史的事件を基軸にするのではなく、何を考えて何を為したかを人物を中軸に通史を眺め直した。
従来の通説・俗説を排しつつ神話の時代からの日本通史を試みた。こうした文脈では日本を大きく変えた四人の外国人(鑑真、ザビエル、アダムス、そしてペリー)も加わる。
なお副題の「百人」は原則見開き二ページの編成だが、なかには四ページを要する人物がいる。また一項目で二人を論じる場合も含む。「百人」と副題に便宜的に冠したが、実際には百八項、登場は百十四人である。