数ある書物の中で本書を手にとっていただき、ありがとうございます。
拙僧とご縁をつなげていただき、本当に嬉しいです。
あなたのそばには、今、大切な愛犬・愛猫がいるのでしょうか?
それとも、愛する子を天に送ったばかりでしょうか?
私のそばにもかつて、「しゃもん」という雄のシべリアンハスキーがいました。
しゃもんはモデル犬としても、数々の仕事をしてくれて、ペットライターをしていた私の仕事のパートナーでもありました。
しゃもんと出会い一緒に生きた12年半は、20代〜30代女ざかりの私が、とにかく「しゃもん」しか目に入らない時期でもあったのです。
仕事が終わると山にこもり、何日もキャンプをしながら、一緒に山を走り、川で泳ぎ、雪山を登り……そんな至福の時代でもありました。
私たちの旅が400泊を超えた頃、『だから愛犬しゃもんと旅に出る』(どうぶつ出版)こんな著書も出版しました。
こんなに愛おしい存在があったのか。
こんなに尽くせる存在があったのか。
自分の命より大切だ、と思える存在があったのか。
そんな「愛」や「絆」を感じると共に、この「宝物」を失いたくない。このままずーっと一緒にいたい。死ぬなら一緒に死にたい。とにかくしゃもんが一番大切。
そんな傲慢な思い。強い執着に苦しんだ12年半でもありました。
とにかく、しゃもんと別れることが辛くてどうしようもない。しゃもんのこととなると、自分の感情がコントロールできない。
そんな「愛」と「執着」を振り子のように行き来する業の深い毎日を送っていました。
そんな生活の中である日、ふっ……と、こんなに愛する存在を得ているのに、なんで私はいつも辛さや恐怖でいっぱいになるのだろう?
今、愛する存在と一緒にいるのに、私はなぜ? 心穏やかで幸せでなく、自分勝手で傲慢なのだろう?? こんな疑問を持ち始めました。
それからは、いろいろな偶然(……じゃないけどね、絶対)と何かの導きによって、さまざまなことを勉強し、体感し、しゃもんが亡くなる前には、ほぼ現在の「死は別れではない」という考えを、諦観と共に受け入れていたように思えます。
しゃもん亡き後、さまざまな経緯があり、私はペット・ライターからカウンセラーとなり、高野山の僧侶となりました。この流れの中でも、すでに天に帰ったしゃもんが道を示してくれた不思議な出来事が数多く起こるのですが、この話はまた他の機会に譲ることにします。
その後、高野山での長く厳しい修行を終えて、下山した在家の(寺を持たない)私は、長いあいだ僧侶としての生き方を手探りで探す日々が続きました。
そんな迷走の果てに「やっぱり私は文章が書きたいんだ!」こんな結論にたどり着き、書き上げたペットとの話。
「ホームグラウンドに帰ってきたなぁ……」でもライター時代と違い、なぜか髪の毛がありません……みたいな(笑)
翌朝、自分で書いた原稿を見て、「なんじゃこりゃ? こんなの書いたっけ?」そんな箇所も多々あり、書かせてもらったのではなく、書かされた(動物の神さまに?)、のかもしれません。
本書は完全に私「妙玄の世界観」です。
私が体験し、感じ、受け取り、咀嚼して表現したものです。独特な感覚、世界観なので、受け取るも拒否するも、読んでくださった方の選択です。
私としましては、異色だけど良きものを書かせていただけた、と自負しております。
しゃもんの生前、私がその生に散々執着し、もがき、苦しみ、そこから、それらの思いを昇華させ、軽やかに人生を歩むようになった自分の人生観を書きました。
どうか、私の失敗が、本書を読んでくださった方の参考になりますように。
どうか、死は別れではない、死してなお成長し合う関係にもなれる、ということを感じてもらえますように。
そして、対ペットだけではなく、家族や周囲の関係性のある方すべての生と死ということに対して、何か得る気づきがありますように。そんな祈りを込めて書き上げました。
また、特定の信仰もなく僧侶になるなんて夢にも思っていなかったペット・ライター時代に、犬にしゃもん(沙門=修行僧の総称)、猫にはんにゃ(般若=般若心経より智恵の意)と名付けました。しゃもんは夢枕獏氏の小説の猫の名前からもらい、はんにゃは子猫のとき恐い般若顔をしていたから……。ただそんな理由からの命名でした。
……が、僧侶となった今では何やら見えない導きを感じます。
さらに、たまたま手持ちに一枚しかなかったはんにゃの顔アップの写真が表紙になりました。この写真がまた、あきらかに自分の意思を持って読み手のみなさんに何かを語りかけているようです。
そんな、こんなの摩訶不思議。
ようこそ、妙玄ワールドへ!
どうぞ、お楽しみください。