この目で初めて昭和天皇を見たのは、たしか6歳になったばかりの秋のことである。
私が育った郷里は、富山県の北西部に位置する田舎町である。遠いあの日、古びた駅舎の前に昭和天皇は降り立った。
日の丸の小旗が波のように揺れ、駅前の広場は人びとの歓声で沸騰した。ソフト帽を手にした天皇は、ぎこちない足取りで人びとに近づき、何やら話しかける。私はこの人が、日本でいちばん偉い人だ、という認識ぐらいで、ただ人びとに倣って小旗を振った。
「天皇陛下、万歳!」――、だれもが、ちぎれんばかりに旗を振る。茣蓙の上に正座をした年寄りたちは、みな、こうべを垂れていた。なかには、感きわまって泣いている人もいた。私は、人びとがなぜ泣くのか、不思議でならなかった。
こう書くと、とても鮮やかな記憶となるが、実のところは、幼い日のおぼろげな追憶の断片にすぎない。
しかし、それから十年ほどがたち、高校生の私は、あれが昭和天皇の“全国巡幸”の一環であったとことを知った。終戦の前年に生まれた私は、戦争というものの実感を肌では知らないが、あの日、歴史のひとコマを垣間見たことだけは事実なのだ。
歳月は流れ、ノンフィクションの分野で様々な事象を取材し、執筆するようになった。そんな私が、皇室のことに関心を持つようになったのは、20年ほど前のことである。皇室ジャーナリストの河原敏明氏と知遇を得た。
そして氏から、皇室に関する知識や、皇室記事を執筆するにあたっての留意点などを、いろいろと教示していただいた。
そんなある日、“太平洋戦争と昭和天皇”ということが話題になり、いたく心をひかれたのが、「一杯のコーヒー」の謎であった。以来、一杯のコーヒーは、私の胸のどこかで、わだかまりを持って居座るようになった。
終戦直後、昭和天皇がダグラス・マッカーサーと会見し、それが敗戦によって打ちひしがれた日本と日本人を、復興へと導く端緒となったことは周知の事実である。この会見については、多くの研究書や歴史を検証する書籍が出版されている。
だが、難しい議論はさておいて、私は、日本の行く末の象徴となった“一杯のコーヒー”に視点を置きたかった。ひとりの人間としての天皇の真情を、紡いでみたかったのだ。
あの戦争があったことも知らない世代が、とみに増えている。しかし、私たちは、あの戦争を決して忘れてはいけないのだ。
豊かさを、あたかも日常と錯覚するようになった私たちは、いまこそ、未曾有の国難に直面したあのときに、思いを馳せねばならないと思う。
本書が昭和史のもう一つの側面をひもとき、読んでくださる方の胸襟に少しでも触れることができれば幸いである。