今から、ちょうど六十八年前に、日本が連合国に降伏したあと、日本人と同じ有色人種の独立国家がアジアやアフリカにたくさん誕生したが、それらの国々は、今や世界の経済や政治の動きに大きな影響を与えるようになり、また地球環境の問題を考える上でも無視できないものとなっている。
しかし、わが国の学校では、いまだにアジアとアフリカの独立と発展に影響を与えた日清戦争、日露戦争、大東亜戦争の姿を子供たちに正しく教えていない。
日本では、毎年夏になると、戦前の日本や大東亜戦争を悪者にした番組をさかんに放送するが、その見方は、とても正しい姿を伝えたものとはいえない。
日本のテレビや新聞が靖国問題や戦争責任を報道する場合でも、外国の言いぶんに左右されない公平な報道が必要なのだが、日本では、かつて敵だった国の言いぶんだけが独り歩きしてしまい、自分たちの言いぶんを報道してこなかった。これでは、日本が果たした歴史的な役割が消されて、あの戦争で命をおとした日本兵の死が無駄になってしまうだろう。
実は、日本が六十八年前に西欧列強と戦った戦争は、過去五〇〇年間にわたる白人の世界支配を打ちこわした戦争であったが、この戦争は、もともとアメリカのルーズベルト大統領が日本に対しておこなった経済制裁という挑発的な行為が直接的な原因となって起こった戦争であった。
しかし、このような戦争が起こった原因を知るには、今から六〇〇年前の十五世紀の時代にまでさかのぼって世界の動きを見なければ、この戦争の本当の原因を理解することはできないのである。
十五世紀、イタリアの航海者コロンブスによるアメリカ大陸の発見は、白人を中心とした西欧列強の世界支配の始まりであった。やがて西欧列強は、それから五〇〇年にわたって、アメリカ大陸のインディオ、アフリカ大陸の黒人、そして、日本人と同じアジア地域に住む東南アジアの人々に対して、ひどいやり方で、多くの人々の命を奪い、金もうけをした。そのことで、十九世紀末までに、それらのほとんどの民族が白人の植民地の中に組みこまれていったのである。
このことは、言いかえれば、それまで別々だったヨーロッパとアジア、アフリカ、アメリカの歴史が、十五世紀から一本の流れにまとまるようになったということになる。
しかし、このような世界の流れの中で、白人の植民地支配に従わない国が極東にひとつだけあった。それが、わたしたちの祖国、日本である。
日本は、この西欧列強の侵略に対抗するために明治維新をおこなって、二二六年間も続いた鎖国体制を終わらせると、明治二十二(一八八九)年に、大日本帝国憲法(明治憲法)を発布して、強い軍隊をつくり、わずか二十年たらずで、アジアでいちばん近代的な国に生まれ変わった。
こうして、日本は、やがて朝鮮半島をねらうロシア帝国(のちのソ連=ソビエト連邦)の侵略をふせぐために、日清戦争と日露戦争を戦って、最後にはほかの西欧列強も相手にして大東亜戦争を戦うのである。
しかし、日本政府は、アメリカ軍によって広島と長崎に原爆を落とされたことと、ソ連の参戦によって、これ以上、戦い続けることは無理だと考えた。
このため日本政府が昭和二十(一九四五)年八月十五日に、アメリカ、イギリス、中国、オランダ、フランスなどの連合国に降伏すると、フランス、イギリス、オランダの軍隊は、ふたたびアジアの国々を侵略しにやってきた。
しかし、これをやっつけて追いはらったのは、日本軍が現地でつくった独立義勇軍とともに戦った日本兵であった。
このように、アジアの国々の独立戦争を助けた日本は、たとえ敵に降伏したとはいえ、西欧列強の植民地支配を打ちこわし、世界史の流れを大きく変えることに力をつくした国であることは、まぎれもない事実なのである。
本書のコラム④(一五二ページ)に、大東亜戦争と日本を讃えたアジアの指導者の言葉を紹介したが、ここからも、大東亜戦争は、わが国の歴史教科書にあるようなアジアで悪いことをやった戦争ではないことがわかるだろう。
この大東亜戦争によって、戦後、アジアのいたるところで多くの国々が、長いあいだ苦しめられてきた西欧列強の植民地支配から解放されて発展をとげたこと、そして日本がそれらに力をつくした国であることに対して、日本人は、もっと大きな自信と誇りを持つべきなのである。
日本の未来をになう子供たちが、この本を読むことによって、西欧列強の侵略から日本とアジアを守ろうとした、当時の日本人の勇気と努力、そして国民としての義務と責任感を学んでもらえればと思うしだいである。
平成二十五年五月二十七日(海軍記念日にて)
吉本貞昭
本書の紹介動画です
はじめに
第一章 西欧列強の世界支配はこうして始まった
一 西欧列強による植民地支配の始まり
──「大航海時代」は「大侵略時代」?
二 西欧列強による南アメリカ大陸の侵略
──奴隷貿易とスペインの「征服者」たち
●コラム① スペイン人の蛮行を告発した聖職者ラス・カサス
第二章 アジアを侵略した西欧列強と日本の明治維新
一 西欧列強によるアジア侵略の始まり
──インドを植民地にしたイギリス
二 西欧列強のアジア侵略に対抗した日本
──明治維新で日本を近代化せよ
三 朝鮮を清国の支配から独立させた日清戦争
──日本の勝利と、しのびよる大国ロシアの影
四 朝鮮をロシアの侵略から守った日露戦争
──日露戦争の勝利で、世界を驚かせたアジアの小国・日本
●コラム② ステッセル中将の命を救った乃木大将の武士道
第三章 アジアの解放と独立を助けた大東亜戦争
一 日本はなぜ大東亜戦争に突入したのか
──中国大陸をめぐる陰謀と、追い詰められた日本
二 大東亜戦争とアジアの解放
──南方資源地帯の戦いと、真珠湾攻撃の真実
三 アジアの各地に独立義勇軍をつくった日本軍
──陸軍中野学校の「秘密戦士」たち
四 日本軍政と興亜訓練所の開設
──アジアの青年たちへの教育と訓練がアジアの未来をつくった
五 大東亜会議の開催
──東京に集まったアジア各国のリーダーたち
六 日本の敗戦
──ミッドウェー海戦の失敗と、神風特攻隊の戦果
七 インドを独立に導いたインパール作戦
──自由と独立のために立ち上がった人々
八 アジアの独立戦争に参加した日本兵
──戦後も、アジア解放のために戦った日本兵たち
●コラム③ アジアの国々から勲章をもらった日本兵
第四章 侵略の世界史を変えた大東亜戦争
一 大東亜戦争の世界史的意義とは何か
──世界史の流れを変えた大東亜戦争
二 大東亜戦争の真の勝利国は日本である
──「アジアの独立」を勝ちとった大東亜戦争
●コラム④ アジアの国々の指導者が語る大東亜戦争の真実
おわりに
チャレンジ・クイズ
連合国に降伏した日本は戦後、アメリカ軍による占領政策のもとで大きく生まれ変わった。占領中には、大東亜戦争に対する反省が、国を立て直すための出発点であるかのように言われた。
この六十八年もの間、戦前の日本は侵略戦争をおこなって世界の人々に迷惑をかけたのだから、その反省のもとに世界にあやまり、罪をつぐなうことで、今後の国際社会に日本がもどることができる、それがただひとつの道であるかのように言われてきた。
その象徴こそが、元社会党党首の村山富市首相(当時)が平成七(一九九五)年八月十五日の「終戦の日」に、記者会見で述べた、次のような談話である。
「植民地支配と侵略によって多くの国に、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」
この村山元首相の言う、いわゆる「日本侵略説」の根拠になっているのが、ほかでもない、わが国の歴史教科書なのである。
たとえば、『小学生の社会6』(上巻、日本文教出版)という歴史教科書では、大東亜戦争について、
『日本軍は、占領地に、飛行場や道路、鉄道などをつくろうと、住民や捕虜に労働を強制したため、各地で抵抗運動がおこりました。
……戦争が長引き、国内で働き手が不足すると、多数の朝鮮人や中国人を強制的に日本へ連れてきて、工場や鉱山などできびしい労働をさせました。また、朝鮮や台湾で徴兵を行って、日本軍として戦わせたりしました。日本は、当時、この戦争を「大東亜戦争」とよびました。政府は、アジアを欧米の支配から解放する戦いであると宣伝しました。戦争に反対する者は非国民とよばれ、戦争を批判することは許されませんでした。
戦争が長引くにつれ、物資や労働力が不足して、国民のくらしは、日に日に苦しくなりました。しかし、「欲しがりません。勝つまでは。」などの標語もつくられ、不平をいうこともできませんでした。産業のほとんどは、戦争に関係する仕事に切りかえられました。男性が兵士として戦場へ行っているため、女性が重要な労働力になりました』
と、大東亜戦争の暗い面ばかりを強調して、本書で述べたような大東亜戦争の明るい面については、少しも説明していない。
また、次の『新しい社会6』(上巻、東京書籍)という歴史教科書を見ても、
「日本は一九四〇年、石油などの資源を得るために、東南アジアに軍隊を進めました。またドイツ、イタリアと軍事同盟を結び、アジアの地域を支配しようとしました。このため、イギリスやアメリカなどと激しく対立するようになりました。こうしてアメリカやイギリスなどの国々と、東南アジアや太平洋を戦場にして争う太平洋戦争になりました」
と説明しているだけで、日本がなぜ石油などの資源を手に入れるために東南アジアに軍隊を進出させていったかについては、まったく説明していない。このような説明のしかたでは、日本はただの侵略国家になってしまうだろう。
これまで述べてきたように、そもそも、日本が明治から昭和の前半にかけて戦った戦争は、アジアに対する西欧列強の侵略戦争に対抗するためであったことは、明らかである。
にもかかわらず、どの教科書を見ても、大東亜戦争で日本は悪いことばかりをやったかのような書き方をしている。
どこの国でも、自分の国の戦争の意義を強調して書くのがあたりまえなのだが、わが国の歴史教科書では、自分たちの立場ではなく、敵国の立場で書いているように見える。このような歴史教育をやっている国は、世界で日本だけしかないだろう。
たしかに、戦争中には、つらい労働によって、多少の犠牲者がでたこともあったが、日本に侵略されたとするアジアの国々には、日本や大東亜戦争をほめ讃える人々がたくさんいることを、日本人として、はっきりと知っておかなければならない。
ところが、本当の侵略国家である連合国は、アメリカが日本を占領していたときに、自衛戦争をおこなった日本を「極東国際軍事裁判」(一般に、「東京裁判」)という名の裁判を開いて、あとからつくった二つの法律(「人道に対する罪」「平和に対する罪」)を使って、日本を侵略国家として裁いていったのである。
これは、当時は正しいとされていたことを、あとから別の法律をつくって裁くやり方で、このようなことは絶対にやってはいけないことだとされている。
これと同時に、アメリカの占領軍は、大東亜戦争の意義をかくすために、わが国の子供たちが戦争中に学校で教えられていた大東亜戦争という呼び名を使わないように命令し、「日本軍は、アジアで悪いことをした」と学校で教えるように命令してきた。
このときの影響で、昭和二十七(一九五二)年四月二十八日に日本が独立したあとも、わが国の歴史教科書では、あいかわらず、アメリカが戦争中に使っていた「太平洋戦争」という呼び名を使って、日本軍は戦争中にアジアで悪いことをしたとか、日本はバカバカしい戦争をやったと教えているのである。
この東京裁判の問題については、いずれ別の本で、くわしく見ていきたいと思うが、これまで述べてきたように、今日のアジアの国々の独立と発展の原因が、日清・日露戦争と大東亜戦争にあることは確かであろう。
言いかえれば、日清・日露戦争はアジア解放の出発点であり、大東亜戦争は、その終点であると言ってよいのである。
インドの詩人タゴールが、「花はその花びらのすべてを失って、果実を見いだす」と述べているように、日本は、確かに連合国に降伏したかもしれないが、アジアの国々を白人の植民地支配から解放して独立させるという大東亜戦争の政治目的は、陸軍中野学校出身の秘密戦士から、愛国教育と軍事訓練の指導を受けた独立義勇軍や現地の人たちによる民族解放戦争や民族独立運動を通じて達成されたことは、まぎれもない事実なのである。
しかし、戦後生まれの日本人のほとんどが、その事実を知らされてこなかったのが実状なのである。
戦後、アメリカ軍の占領政策によって、憲法から教育まですっかり変えさせられた日本という国を、もう一度日本人の手に取りもどすには、国民がこの大東亜戦争をもう一度見なおして、本当に東京裁判が正しい裁判だったかどうかを、考えていくしかないと思うのである。
平成二十五年六月三十日
吉本貞昭