平成二十四年十二月十六日、第四十六回衆議院議員総選挙で自民党が二九四議席を獲得して圧勝し、二十六日に第二次安倍政権が誕生した。既に、自民党の憲法改正推進本部は四月二十八日に、「日本国憲法改正草案」(全一一〇カ条)を発表しており、安倍首相も、十七日の記者会見で
「最初に行うことは九十六条改正だろう。三分の一超の国会議員が反対すれば議論すらできない。あまりにもハードルが高すぎる」
と述べ、第九十六条の改正に意欲を燃やした。
保守政党の自由党によって本格的に憲法改正の議論が始まったのは、昭和二十七年四月二十八日に、日本が主権を回復するとともに、日米安全保障条約が発効されてから二年後の昭和二十九年三月十二日であった。それ以来、紆余曲折の憲法論議を経て、ようやくわが国の国会やマスコミで本格的に憲法改正が議論されるようになってきたのであるが、「日本国憲法」が六十六年間にわたって一度も改正されてこなかったのは、第九十六条の第一項にあるように、他国と比べて憲法の改正手続が極めて難しいことにあったことは間違いないだろう。
では、「日本国憲法」の真の起草者である占領軍は、なぜ改正要件のハードルを高くして「日本国憲法」を硬性憲法にしたのだろうか。その思惑も考えずに、他国の憲法の改正要件と「日本国憲法」の改正要件とを、ただ比較してみたところで、あまり意味がないと思うのである。
一般に、法令解釈の基本原則の第一は、その法令の文章について文理解釈を行うことであるが、それによって定義がはっきりしない場合は、条理解釈か、それとも制定者の意図を明らかにすることになっている。
このことから、第九条の解釈でも、その定義がはっきりしない場合は、その提案者の意図を明らかにしなければ、第九条の意味を誤って理解することになるし、改正してもいいものかどうか判断に苦しむことになる。
その意味から第九十六条の解釈も、この条項の提案者の意図を明らかにしなければ、第九条と同じように、その意味を誤解して改正してもいいものかどうか判断に苦しむことになるのは間違いない。
ところが、わが国の戦後の憲法学会における憲法研究では、もっぱら日本国憲法の文理解釈に重点が置かれ、「日本国憲法」の形成過程と、その合法性の問題については完全に無視あるいは軽視されてきたのである。
名著と言われている「日本国憲法」の著作の中でも、これらの問題を深く論じているものは、ほとんどといっていいほど存在しないのである。
日本の保守政党や保守論陣においても、単なる「憲法改正」に重点が置かれ、この憲法の本質に関する検討がなおざりにされてきたため、わが国において「日本国憲法」の合法性と、その本質についての真相を知る日本人は、ほとんど皆無に等しい状態であると言ってもいいだろう。
そこで、本書の第一の課題は、まずアメリカの対日占領政策の目的がどこにあったのかを分析した上で、アメリカは、なぜ憲法改正を行ったのかを解明することにある。
アメリカは昭和十九年十二月に、「国務・陸軍・海軍三省調整委員会」(以下、SWNCCと略称)を設置して、戦後の対日占領政策を計画したが、その下部組織の特別調査部(SR)極東課のメンバーは、ソ連のスパイの影響を受けて「日本国憲法」のもとになる「SWNCC二二八」を作成しているのである。
第二は、「日本国憲法」が一体どのような手続を経て制定されたのかを解明すると同時に、占領軍による検閲がある中で、なぜ憲法改正を自由に批判できたのか、そして占領末期に、なぜ「日本国憲法」誕生の秘密が公表されたのかを解明することにある。
占領中、総司令部は、「日本国憲法」を批判する報道に対して厳しく検閲を行ったかのように思われているが、昭和二十一年六月八日まで、マッカーサーが「日本国憲法」の起草に果たした役割や、それに対する一切の批判以外は、自由に「日本国憲法」を批判することもできたし、占領末期には報道機関にマッカーサーが「日本国憲法」の起草に果たした役割を報じることを許可しているのである。
第三は、占領軍の押しつけた第九条の正体を解明することにある。現在、普天間基地の移設問題で、日米安全保障の危機が叫ばれているが、そもそも安全保障の問題も、「日本国憲法」第九条の矛盾から生じた現象であって、この第九条の真の意味を見つめ直さない限り、日本は真の自主防衛を取り戻すことはできないからである。
戦後の保守論者の間では、占領軍は、日本を弱腰国家にさせるために第九条を押しつけたと考えられているが、実は、占領軍は天皇制の廃止を叫ぶ極東委員会の批判を回避するために、第九条を第一条(天皇条項)とともに日本に押しつけたのが真相である。
第四は、昭和二十年八月十五日に、日本が降伏すると、占領軍は、日本政府に対して「大日本帝国憲法」(以下、「帝国憲法」と略称)に対する根本的な変革を迫ってきたが、それは、果たして当時の国際法や「ポツダム宣言」に従って合法的に行われたものなのかどうかを解明することにある。
本来、占領軍には、占領地の法律の順守を定めた「ハーグ陸戦法規」第四十三条に従って占領を行う義務があり、憲法を含めて他国の法律を変更する権限はないのである。
また「ポツダム宣言」の第十二項には「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」と書かれており、アメリカ政府にも憲法改正を強制する権限はないのである。
第五は、「日本国憲法」を作ったニュー・ディラーの正体を解明すると同時に、「日本国憲法」に内在する政治思想を解明することにある。
実は、「日本国憲法」を作った総司令部民政局には、数多くのニュー・ディラーたちが巣くっており、彼らは自分たちの理想とする憲法を占領国の日本で実現しようとしたのであるが、「日本国憲法」からは、できるだけ日本的な思想を排除し、西欧諸国の革命思想を植えつけようとしたのである。
第六は、戦後の日本において憲法改正がなぜ行われてこなかったのかを究明すると同時に、日本国憲法の改正すべき点を解明することにある。
「日本国憲法」が昭和二十二年五月三日に施行されてから、来年で六十七年目の年を迎えることになる。以来、「日本国憲法」第九条をはじめとする条理解釈や改正の論議が半世紀以上にわたって繰り返し行われてきたわけであるが、これまで一度も改正されてこなかったのは、他国と比べて改正手続が極めて難しいことの他に、日本人は、経済の拡大を優先して占領軍の作った社会構造と「日本国憲法」の問題から目をそむけ、「国のあり方」という基本的な問題を考えてこなかったことや、欧米人とは違って憲法を「不磨の大典」であると考える傾向が強かったことに原因があると思うのである。
日本人が戦後、失われた自信と誇りを取り戻すために、まずやらなければならないことは、これらの意識を改革して自らの手で日本民族の精神を基礎とする自主憲法を制定し、真の主権を回復することであると思うのである。そこから、本当の戦後が始まっていくからである。その上で、日本がこれから行くべき方向が自ずと決まってくるであろう。
本書が戦後、占領軍の押しつけた憲法を改正する議論に拍車をかけるための一助となれば幸いである。