今年は、大東亜戦争が終わってから69年目の年になる。以来、戦後の日本人は、アメリカによる占領政策の影響を受けて、現在の社会生活が当たり前のように感じるようになっている。
終戦の翌年には戦勝国が敗戦国の日本を一方的に裁く、「極東国際軍事裁判」(以下、「東京裁判」と略す)をおこなったが、今の若い人たちには、大東亜戦争と東京裁判を耳にしても、「遠い昔にあった大きな事件」ぐらいにしか感じないかもしれない。
こうした中で、毎年夏になると、中国と韓国がさかんに日本の戦争責任や靖国問題を訴えてくるのは、この大東亜戦争と東京裁判に原因があるからである。
日本は、明治時代から西欧列強の植民地にならないように、日本を封建国家から近代国家につくり変えて、血のにじむような努力をした。
その中で、日本が戦った日露戦争と大東亜戦争は、過去500年間にわたる白人の世界支配を打ちこわすために戦った戦争であった。
特に昭和16年12月8日に、日本が戦端を開いた大東亜戦争は、西欧列強に大きな衝撃を与えたのである。
しかし、昭和20年8月15日に、日本が連合国に降伏すると、連合国の軍隊は、ふたたびアジアの国々を侵略しにやってきた。これをやっつけて追いはらったのが、日本軍が現地で軍事訓練をおこなったアジアの青年たちだったのである。
それまで西欧列強に支配されていたアジアの国々が独立国家に生まれ変わったのは、この大東亜戦争の影響によるものである。このように、アジアの国々の独立に影響を与えた日本は、たとえ敵に敗れたとしても西欧列強の植民地支配を打ちこわし、世界史の流れを大きく変えることに力をつくした国であることはまちがいないだろう。
ところが、日本を占領した連合国は、戦争責任を日本に押しつけるために国際軍事裁判を開いて、これまでの日本の軍事行動をすべて侵略行為だと決めつけて一方的に裁いたのである。
それ以来、わが国の学校では日本が昭和27年4月28日に、アメリカから独立したあとも、歴史教科書で日本がアジアで悪いことをやったように子供たちに教えている。
東京裁判で被告たち全員に「無罪」の判決を言い渡したインド代表のパール判事は昭和27年11月6日に、広島弁護士会の講演で次のように述べている。
「私は、被告たち全員に無罪の判決を言い渡した。そして、その無罪の理由と証拠を詳しく説明した。しかし、他の判事たちは有罪の理由も証拠も、なんら明らかにしていないのである。
おそらく明らかにできないのではないか。だから、東京裁判の判決をすべて発表しないのだろう。これでは『感情によって裁いた』と言われても、何も言えないだろう。
彼らは、日本が侵略戦争をやったことにして自分たちのアジア侵略をかくすと同時に、日本の過去17年間の一切を罪悪であると烙印することが目的であったにちがいない。
私が書いた判決文を読めば、欧米こそが、憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずである。満州事変から大東亜戦争に至るまでの真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究してもらいたい。
日本の子供たちが、ゆがめられた罪悪感を背負って心がいじけ、道徳がすたれていくのを、私は黙って見すごしているわけにはいかない。まちがった歴史の理解をただして、正しい歴史の理解に改めなければならない」
このように、「東京裁判ではパール一人が評判をたてた」と言われるくらい、パール判事の判決文は、今日でも世界から高く評価されているのである。
著者は、戦勝国が日本に対しておこなった、東京裁判という「勝者の裁き」を認めない。なぜなら戦勝国は、数々の戦争犯罪をでっちあげ、事後法で日本を裁いたからである。
日本の未来をになう子供たちが、どうかこの本を読むことによって、失われた日本人の自信と誇りを取りもどしてもらえればと思うしだいである。
平成26年4月19日(昭和天皇御生誕の日に)
吉本貞昭
教科書が絶対に教えない東京裁判 はじめに
教科書が絶対に教えない東京裁判 おわりに