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■ 健康書・精神世界の本 ■


がんはスピリチュアルな病気

がん患者と愛する家族のための心と体の処方箋


「ガン患者によるがん患者のための最高傑作」

米国患者団体「キャンサーマウント」創設者が絶賛
自分だけでなく、妻、両親、弟妹、娘、孫までがんになったことで、全力でそれに向き合った牧師のユーモアあふれる癌克服の記録。
「がん患者として」の著者の経験、「がん患者の家族として」の著者の経験を、それぞれ経過ことにまとめた型破り牧師の元気の出るメッセージ。自分の状況にあった内容、気づきが必ず見つかります。

「マクファーランド氏の温かくて親しみやすく、ユーモアあふれるエッセイは最高の勇気づけになる。その優しく、美しく、爽快なまでに簡潔な語り口からは、希望のメッセージが伝わってくる。心を癒す糧として、少しずつかじるもよし、フルコースで楽しむもよし。
本書は、この病気を経験したすべての人たちにとってすばらしい贈り物になる」
――ロリ・ホープ、元ガン患者、講演家、『Help Me Live: 20 Things Peope With Cancer Want You to Know(助けてほしい――ガン患者があなたに知っておいてもらいたい20のこと』の著者


ジョン・ロバート・マクファーランド著 浦谷計子訳 2008.10.13 発行  

ISBN978-4-89295-595-2 C0011
四六並製・400頁・定価 2310円(本体 2100円)

NOW THAT I HAVE CANCER I AM WHOLE by John Robert McFarland

 

はじめに

がんはスピリチュアルな病気

数年前のこと、一人の女性がわが家に電話をかけてきた。妻のヘレンが出ると、女性はこの本の初版をある人から薦められたのだが、買うまえに私がまだ生きているかどうか確かめたかったのだと言った。妻は喜んで答えた。「大丈夫ですよ。安心して買ってください」
私は今もここにいるし、本もまだ売れている。でも、私のがんの話にはつづきがあった。それでこの改訂版が出たというわけだ。
旅のはじまりは一九九〇年二月。手術とその後一二カ月間の化学療法、そして二年間の恐怖と癒しの日々を経たのち、一九九三年、初版が誕生した。
原稿を書きおえた時点での副題は「がん患者へ贈るメッセージ」だった。一人の患者の目線で、同じ病を抱える人向けに書いたからだ。だがその後、「患者を愛する人たちへ贈る」を付け加えた。友だちや家族にとって患者の気持ちを知る手がかりになればいいと思ったのだ。
もっともそのときは、自分自身が第一カテゴリーの“がん患者”から、第二カテゴリーの“患者を愛する人”に移行することになるとは思いもしなかった。そもそも自分ががん患者になることさえ思いがけなかったのだ。ましてや、がん患者の息子やきょうだい、夫や父や祖父になることなどまったくの予想外だった。でも、気がつけばこの十数年、私はまさにそういう人生を歩んできた。すべてのはじまりは自分のがんだった。青天の霹靂とはこのことだ。健康の半分は遺伝子で決まるが、その点に関して私は安心なはずだった。マクファーランド家とポンド家の四世代二〇〇人からなる親類の中で、私以前にがんを患った者は二人しかいない。しかも最初にその兆候が現れたとき、どちらもとうに八〇歳を越えていた。
健康の残り半分はライフスタイルで決まる。その点でも私は合格だった。食事は家政学の専門家、つまり家内が作ってくれる。長距離を走り、草野球では三塁手として活躍。仕事は充実し、家族や友だちから愛されていた。
だから、不安な要素はなに一つないはずだった。おまけに自覚症状もまったくなかった。私は健康に関してはうぬぼれていたといってもいい。ところが何十回目かの誕生日の深夜、からだの“南部”のほうに痛みを感じ、その夜のうちに病院の手術室へ運ばれ、外科医に見てもらうはめになった。結局、医師は私の大腸の三分の一と悪性腫瘍を切り取った。
数日後、最初の主治医になった腫瘍科医は言った。「やはりそうでしたね」と。“そう”とはいったいなにを指すのか? 手術を受けてもなお、自分ががんだとは思いもしなかったのだ。医師がうっかりもらした言葉は私にとって死刑宣告にも等しかった。あと「一、二年」の命だという。
愕然とした。人生がひっくり返った。変化のあまりの大きさに、それからというもの口を開くたびに、「私はがんだから」と前置きするようになった。以前の自分とはまるで違うのだ、と言わんばかりに。このセリフを友人のビル・ホワイトなどは聞き飽きたらしい。本書の「ふれあいの時間」というページにも登場するビルは、「“私はがんだから”? なんだか本の題名みたいだな」と言った。それでそのとおりになった。
最初は闘病記の形だった。考えや気持ちを日記につけているがん患者のほうが、そうでない患者よりも回復率が高いと知ったからだ。善は急げ、とはじめた。
だが、書いているうちに単なる日記ではないことに気づいた。目的地はさだかではないが、私はがんの闘病という旅路を歩んでいるのだ。そして、同様の旅をしている人は他にも大勢いる。やはり、どこへ向かっているのか、どこにたどりつくのかもわからない不安を抱えながら。すると、自分の旅行記をつけているだけでは物足りなくなってきた。同じがんの旅をつづけている人に向けて、そしてその人たちに代わって発信する必要があるのではないか。ここに書かれているのは、私自身の思いではあるが、私だけのものではないはずだ。この本は、がんの旅をつづけなければならないすべての人たちの思いに通ずるものでもあってほしい。そう思うようになった。
というわけで、この本は、私自身の闘病の旅日記であり、道すがら私を支えてくれた人たちの物語でもある。そしてまた、親切にも私をしばし旅の道連れとし、学ばせてくれた人たちの闘病の物語でもある。なによりも重要なのは、この本が旅を共有するための手段であるということだ。誰もが孤独の谷は自分一人で歩くしかないとわかっている。それでいて、旅の友が必要だということも知っているのだ。一人だけれど、一緒でもあるというこの感覚を、友だちのリンダ・ジマーマンは「プライバシーを共有する感じ」と呼んだ。
私は、一つひとつの瞑想を一般論ではなく自分自身の経験として書いた。なぜならば、がんは一人ひとり違う病だからだ。私たちがん患者は統計でもパーセンテージでもカテゴリーでもない。人間なのだ。その一方で、がんは機会均等な病気でもある。金持ちも貧乏人も、老いも若きも、善人も悪人も、白人も黒人も黄色人種も関係なく、平等に降りかかる。そうして皆が同じ道を歩む。読者も私の瞑想録の中に自分自身の物語を見つけられることだろう。
この旅行は一人ひとりが一歩ずつ進むしかない。私たちは今という瞬間を生きなければならないし、ときにはそれが精いっぱいでもある。一度に一日ずつ生き抜く、いや、たいていは一度に一分ずつしのぐしかないのだ。分厚い本を持つだけでもしんどくて、ましてや読むなんてとんでもないというときもある。せいぜいできるのは、一度に一つの考えだけに短期集中で取り組むことくらい。だから、何ページにも何章にもわたるおおざっぱな知識や未知の単語をかきわけて、まさにピンチの今だからこそ聞きたいという言葉を見つけ出す、なんてことは至難の業だ。
だからこの本はがんの人にわかりやすいように、旅のステップごとに書いてある。はじまりも終わりもないので、ご自分の旅の進み具合に合わせて好きな順序で読んでいただいてかまわない。がんが押しつけてくる人生の変化は途方もなく大きくて圧倒的だ。そこに手術や化学療法や放射線療法という苦痛が加わればなおさらだ。とてもじゃないが受け止めきれない。まるで野球のボールに慣れている人がスイカでキャッチボールしようとするようなものだ。だから、がんが引き起こすちょっとした変化や出来事といった具体的なことに、むしろ目を向けるようになる。この強大な神に身体のどこを捧げるかとか、かつらをかぶったら自分はどんなルックスになるかとかといったことを話題にしたほうが、化学療法で本当に快方に向かっているのかを話すよりも楽なのだ。
それでいいと思う。人生は物語であって、抽象的な理論ではないのだから。私たち患者は、今までとは違う形のブラ、垂れ下がったまぶた、禿げ上がった頭のことを話すうちに、もっと大きな深い問題を楽な気持ちで話せるようになるのではないか。卵の内側でひよこのくちばしがコツコツと少しずつ殻を破るように、小さな変化が隠れていた意味をいつかは表に出すのかもしれない。そういうわけで、ここに書かれた瞑想録も、その多くは日常の観察や出来事からはじまる。たとえば、化学療法担当の手ごわい看護師のベッキーの顔を見ると、たとえそれが映画館で出会ったのであっても吐き気を催してしまう話とか。がん闘病の旅では実際そういうことが起きるのだ。だから、まずはそこから書きはじめて、やがてどんな意味が見えてくるかというと……まあ、その点については道すがらお話ししよう。
手術でおなかを開いてがんが見つかったのは、私の誕生日のことだ。一年間の化学療法がはじまったのは妻の誕生日だった。そのうち化学療法のせいで静脈がだめになってきたので、胸にグローションカテーテルを入れなければならなくなった(今の医療ではポートが使われている)。そのカテーテルを留置したのが、もちろん、結婚記念日だ。私たち夫婦は記念日をおそれるようになった。だがやがて、がんがあろうと――おそらく、がんがあるからこそ――毎日が特別な日なのだと気づいた。
この瞑想録はそういう特別な日の連続の中で書いた。すべて当時の思いがそのままつづられている。“あの言葉”を聞いた最初の日のこと、化学療法のせいでおなじみの白くて大きな陶器に向かってゲーゲー言わされたときのこと、こんな目に遭うのは自分のなにがいけなかったのかと首をかしげたときのこと、うんざりするのにさえうんざりしてしまったときのこと。
そんな化学療法の日々も今は昔、現在の私はすこぶる元気だ。治ったというお墨付きをいただいている。それでもときおり、告知されたばかりの頃や化学療法を受けていた最悪な日々に戻って、当時の思いを書き直してみたいという誘惑に駆られることもある。今なら長期的な展望を盛り込んでやれるのに。ただし、これまでのところその誘惑に負けてはいない。それぞれの段階にはそのときなりのありようがある。それがありのままの自分。それでいい。
物語は私のがんだけでは終わらなかった。父へとつづき、次に母へ、そして弟のジムへ、それから孫のジョーイ、妻のヘレン、娘のメアリー・ベスへと受け継がれ、今は妹のマージェリーが受け持っている。そうした人たちの旅に思いをはせながら書いたのが、この本の第二部「“愛する人”ががんになったとき」だ。第一部と同様、手つかずの素の心情がつづられている。それがありのままの自分。それでいい。


 

目 次


   はじめに 

第一部 自分ががんになったとき

1章 初めて“その言葉”を聞いたとき 
   ――診断――

   しょっちゅうその言葉”を口にしている 
   がんが答えだった 

2章 からだの一部がなくなったとき 
   ――手術と回復――

   自分の一部が失われた 
   愛の目で自分を見つめる 
   歌う 
   毎日なにかをする 
   限界とつきあうことを学んでいる 
   自分が今どこにいるのかを把握しておく 
   苦痛の中に閉じ込められている 


3章 闘うとき 
   ――戦闘準備――

   “いい人”はもうやめにする 
   決まり文句の力を信じる 
   野球を愛している 
   挑戦を受けて立つ 
   カードをもらう 
   コントロールする 
   全力を投入する
   完全になった 
   態度を決める 


4章 毛が抜けても不思議なくらい美しくなるとき 
   ――治療――

   ヒーローになる 
   縁起をかつぐ 
   “最後の日の最後の一滴”まで頑張る
   不満屋になる練習をする 
   朝の悲惨なひとときは喜びに変わった 
   ベッキーの顔を見るたびに気分が悪くなる 
   恵まれている 
   うんざりすることにうんざりする 
   囚われの身となる 


5章 恐怖の夜が訪れるとき 
   ――死を考える――

   孤独の谷は自分一人で歩かなければならない 
   自分の死を嘆く 
   おしまいのお知らせが届く 


6章 自分が医者になるとき  
   ――責任を引き受ける――

   医者になる 
   人生を切りひらく 
   なぜこうなったかわからない 
   払うべきものは払う 


7章 感謝するとき 
   ――恵みを数える――

   悪い日は一日もない 
   わが身の悲惨なありさまを喜ぶ 
   めがねをかける 
   がんに感謝している 
   私は弱い
   自分のことにかまけていてもいい 
   同じ空間で生きている 


8章 考え方を変えるとき 
   ――態度の修正――

   ふれあいの時間 
   自分に耳を傾ける 
   のんびり進む 
   「愛している」と言う 
   小さなことにくよくよしない 
   今を生きる(その1)  
   休暇を取る 
   仕事をやり遂げる 
   テレビのアニメ番組が嫌い 
   引き出しを整理する 
   オープンに生きる 


9章 新しい方法を試すとき 
   ――行動の修正――

   準備しない 
   贈り物をもらう 
   スコアをつけない 
   ばかになろうとする 
   なんでもリサイクルする 
   治療コストが気になる 
   このからだの中に住んでいる 
   笑う 
   いつも一番よい服を着る 
   からだの声を聴く 

10章 “ノー”と言うべきとき 
   ――人とのつきあい方――

   メガホンを片付ける 
   友だちの頼みを聞かない 
   自分は誰よりもつらい 
   がんを抱えている 
   口をきいてくれない人もいる 

11章 “イエス”と言うべきとき 
   ――人とのつきあい方――

   妻のことを心配する 
   贈り物を差し出す 
   右脚の毛が抜ける 
   偏見がなくなった 
   態度で示す 
   許すことを知る 
   “ビッグガイ”の意味を知る 


12章 内面を見つめるとき 
   ――自分の気持ちとのつきあい方――

   買うものを決められない 
   病気が自分のすべてではない 
   がんのことを忘れたい 
   私は人間だ 
   カリカリしない 


13章 意味を考えるとき 
   ――答えを探す――

   自分と闘う 
   今を生きる(その2)  
   希望を持つ 


14章 癒しへ向かって歩き出すとき 
   ――調子を取り戻す――

   たくさん泣く 
   さよならを言う 
   朝に束縛される 
   なにも変わっていないふりをしたい 
   奇跡を信じる 
   ロバを拝借する 
   壊れている 


15章 一喜一憂するとき 
   ――検査――

   テストに失敗したい 



第二部 “愛する人”ががんになったとき

16章 希望が日課になったとき 
   ――長期生存――

   日常と向き合う 
   まだお手本がほしい 
   誰かのおかげ 
   ビッグストーリーになる 
   愛の街に住む 
   またなるかもしれない 
   人生は楽しむためにある 
   勇敢な私 


17章 世代が逆転したとき 
   ――親や子どもががんになる――

   がん界のファッションリーダー 
   見方を変える 
   あいかわらず準備しない 
   逆向きの家族 


18章 助手席に座ったとき 
   ――伴侶ががんになる――

   愛だけを信用する 
   大きな愛を感じる 
   友だちの大切さを知る 


19章 最悪の事態が起きたとき 
   ――子どもや孫ががんになる――

   子どもを信じる 
   行き先を間違えても救いの手はある 
   小さなヒーローに学ぶ 
   痛みを取り除いてやれない 
   チームで闘う 
   夜の小児病棟から目を離せない 
   孫が無茶するのを見守る 
   “じいじ、イげる(逃げる)” 
   癒しの力を信じる 


   謝辞 


 

参考文献


Anderson, Greg. The Cancer Conqueror. Kansas City: Andrews McMeel, 1988.
『ガンを征服する人』グレッグ・アンダーソン著、近藤ユリ訳、径書房、1992年
Borysenko, Joan. Minding the Body, Mending the Mind. New York: Bantam, 1988.
『からだに聞いてこころを調える:だれにでも今すぐできる瞑想の本』ジョーン・ボリセンコ著、伊東博訳、誠信書房、1990年
Borysenko, Joan. Guilt Is the Teacher, Love Is the Lesson. New York: Warner Books, 1990.
『愛とゆるしの心理学:罪の意識を解放する人生のレッスン』ジョーン・ボリセンコ著、中塚啓子訳、日本教文社、1996年
Bradbury, Ray. The Martian Chronicles. New York: Doubleday, 1950.
『火星年代記』レイ・ブラッドベリ著、小笠原豊樹訳、早川書房、1976年、他
Cousins, Norman. Head First: The Biology of Hope. New York: E. P. Dutton, 1989.
『ヘッド・ファースト:希望の生命学』ノーマン・カズンズ著、上野圭一・片山陽子訳、春秋社、1992年
Dooley, Tom. The Night They Burned the Mountain. New York: Farrar, Straus, & Cudahy, 1960.
Hill, Albert F., with Paul K. Hamilton and Lynn Ringer. I'm a Patient, Too New York: Nick Lyons Books, 1986.
Hillerman, Tony. Talking God. New York: Harper & Row, 1989.
Klein, Allen: The Whole Mirth Catalog. San Francisco: Allen Klein.McFarland, John Robert. The Strange Calling: Stories of the Ministry. Macon, GA: Smyth & Helwys,1999.
Palencia, Elaine Fowler. Brier Country: Stories form Blue Valley. Columbia: University of Missouri Press, 2000.
Palencia, Elaine Fowler. The Dailyness of It. Louisville, KY: Grex Press, 2002.
Ryan, Regina Sara. The Fine Art of Recuperation: A Guide to Surviving and Thriving After Illness, Accident, or Surgery. Los Angeles: Jeremy P. Tarcher, 1989.
Sher, Barbara. It's Only Too Late If You Don't Start Now. New York: Delacorte Press, 1988.
『フォーティーズ・クライシスなんか怖くない!』バーバラ・シェール著、香咲弥須子訳、扶桑社、1999年
Shideler, Mary McDermott. In Search of the Spirit. New York: Ballantine, 1985.
Siegel, Bernie S. Love, Medicine & Miracles. New York: Harper & Row, 1986.
『奇跡的治癒とはなにか:外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣』バーニー・シーゲル著、石井清子訳、日本教文社、1988年
Siegel, Bernie S. Peace, Love, & Healing. New York: Harper & Row, 1989.
『シーゲル博士の心の健康法』バーニー・シーゲル著、相原真理子訳、新潮社、1993年

 

著者紹介

■ ジョン・ロバート・マクファーランド(John Robert McFarland) ■

1937年2月4日生まれ。1959年インディアナ大学、1964年ギャレット神学校を卒業後、ユナイテッドメソジスト派の牧師として長年活躍。引退後の現在は、自身や家族のがん闘病経験を生かし、講演、執筆活動などを続けている。教区聖職者協会元会長、現特別会員。著書の日本語訳は本書が初めて。



■ 訳者・浦谷 計子(うらたに・かずこ) ■

埼玉県生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業。外資系製薬会社勤務などを経て翻訳に従事。訳書に『APA倫理基準による心理学倫理問題事例集』(創元社)、『偽ブランド狂騒曲』(ダイヤモンド社)、『パターソンの営業法則』(ディスカヴァー)、『友だちに「死にたい」と言われたとき、きみにできること』(ゴマブックス)、『アメリカエッセイ傑作選』(DHC、共訳)などがある。

 

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