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愛は死を超えて
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■ スピリチュアル・ラブストーリー ■ L'autre cote de la vie 愛は死を超えて 亡き妻との魂の交流 常軌を逸した書物か!? 愛の極みか
フィリップ・ラグノー著 荒川節子訳 2006.04.06 発行 ISBN 4-89295-534-5 C0011 四六並製・320頁・定価 1650円(本体 1500円) Philippe Ragueneau, " L'autre cote de la vie" |
序章 |
本書がしかるべく読まれることを、私は望む。 ラグノーには生涯を捧げる情熱があった。それは妻カトリーヌ・アングラードへの愛である。彼女は難病といわれる癌に斃れるのだが、それまでの三十三年間、二人は強く結ばれていた。 「彼女は意志の人であり、勇気の人であり、美の人であり、そして何よりも生の人でありました」葬儀ミサのあと、棺の周りに集まって行なわれる祈りを前にして、祭壇上の彼は妻をそう表現した。私たちは三色旗に包まれた棺のそばで、それぞれに故人の面影をおっていた。笑い、才気、そして当意即妙さが作り出す彼女の面影。あくまでも溌剌とし、あくまでもまっすぐで、あくまでも美しかったカトリーヌ。完全を求め続けたあくまでも女性らしい女性。そしてどんなときも信頼に足る友人であった。 夕食に招待した日の彼女を思い出す。ブランクール夫妻も同席していた。おそらく彼女が外出したのはそれが最後だったと思う。頬こそ病でこけていたが、背筋をぴんと伸ばした彼女は、その存在感ゆえに輝いていた。彼女にはいかなる悲しみも、悲壮さすら見られず、友情のもたらす素朴で軽やかな幸福感だけがうかがえた。友情とはなんと偉大な感情であろうか。日ごと、私はその思いを強めている。あの夜、私たちは共にいた。そしてそれだけで十分だった。 フィリップとカトリーヌが同じ信念を強く抱き、けっして別れ別れになったりしないと約束しあっていたなどとは誰も知らなかった。二人は、あたかも何もないかのように夕食の席に着いていた。どこか別の場所を見ているように感じられたことをのぞいては(それは私に強い印象を残したのだが)……。私は心の中でひそかに思ったほどだ。「この二人は、同時に同じものを見ているのではないか」と。彼らをよく知っている私には、『同じもの』が何なのか想像できた。つまり、前菜を食べている時にはたとえばアイルランドの風景を、魚料理を食べている時にはたとえばポリネシアの環礁を、そしてデザートの時にはレユニオン島のどこか知らない夢のような場所を、二人は共に見ているのではないかと思ったのだ。意志を疎通させるのに、彼らはもう言葉など必要としていないのではないか。不思議なことに、二人を見れば見るほど、その思いは募った。 これこそ、愛の頂点ではなかろうか? それからしばらく経ってカトリーヌは亡くなり、私は物事の核心を表すのに、言葉がいかに不十分であるかを知った。つまり、死という裂け目、それに続く静寂、そして不在感、そう、恐ろしいまでに耐え難い不在感を表すのに……。それは魂が焼けつくような痛みだった。 喪の沈黙から脱したフィリップ・ラグノーの手になる本書に対し、私は声にすべき言葉がない。何も口にしてはならない気すらしている。そのような私にかろうじてできるのは、この序文を書いて著者への尊敬と感動の気持ちを表すことだけだ。 『愛は死を超えて』は、実際のところ、特異な経験を詳述したものである。しつこいようだが、それは著者の人格ゆえではない。 カトリーヌはその死を超え、存命中に約束したとおり、フィリップとコミュニケーションをとり続ける。しかし、そんなことがほんとうにありうるのか? 常識では考えられない、人を戸惑わせるような物語。そう、私が文頭で断言したように『常軌を逸した』この物語は、真実だと言えるのか。 それについては、次の三名の言葉に俟とう。彼らはそれぞれ程度こそ異なるが、常軌を逸するとはどういうことかを語っており、それらは私の耳にこびりついて離れない。一番手のラ・フォンテーヌは「愛のなかではすべてが神秘的だ」としか言っていないが、ラ・ロシュフコーは「常軌を逸した考えを持たないからといって、その者は自分で思っているほど分別があるわけではない」と言っているし、パスカルは「人は必然的に、常軌を逸した者とならざるをえない。なぜなら、たとえ常軌を逸していなくても、常軌を逸している者の目には、常軌を逸しているように見えるからだ」とまで言っている。 これら高邁な先人のあとに続いてここで言いたいのは、もちろん常軌を逸した行動についてではない。そうではなくて、十字架のヨハネが『十字架の愚かさ』(訳注:信仰のない者にとっては、十字架の教えも愚かに見える可能性があるという意味)に言及・援用した際、情熱という言葉に与えた意味と同様のものを、魂や心は重視しがちだと言いたいのである。 祈りに明け暮れる者は常軌を逸しているのだろうか? 全財産を寄付し、神に身を捧げる者は? 修道院で一生を過ごす者は? 見かけなどに惑わされず、見えないものに身を捧げる者は? 愛の神秘に身を捧げる者は? 現世を生きる者の目には常軌を逸しているように映っても、そこには多くの英知が潜んでいる。謙虚さや従順もまた同様である。 謙虚と従順。本物の信者を動かすこの大きな原動力について、いろいろ考えるのはやめよう。なによりもフィリップ・ラグノーその人が、そこへ至る道筋を示してくれているのだから。思うに、明白でありながらもにわかには信じ難い事実を前にして、彼がどんなに抵抗し、自問し、あがいたか、私たちは見るべきだ。この世に出現した目には見えない世界を謙虚かつ従順に受け入れるため、論理的で理性的な人間がどれほどまでに自分を抑えなければならなかったかを理解するために。 どうか、涙を怖れないでいただきたい。カトリーヌの死、そして彼女の告白に涙していただきたい。とりわけ、自分たちに起きたことをフィリップに書くよう勧めたときのカトリーヌの言葉、つまり「絶望している人たちに希望を与えるために書くのよ。死は人を永遠にのみ込んでしまう大きくて暗い穴だと考えているような人のために書くの。死は愛し合う者同士を引き裂きはしないってね。再会も、理解し合うことも、話し合うことも、互いに助け合うこともできるって教えるの」という言葉に、涙していただきたい。 流される涙はすべて神聖だ。そして本書を読んで流された悲しみの涙は、やがて喜びの涙へと変わる。愛の力によって。愛という神秘によって。行間から徐々にあふれ出す幸せによって。カトリーヌがほのめかすあの世の真実によって。そして彼女があの世から私たちにもたらす保証によって。 私が言いたいことは、彼女の次の言葉に尽きると思われる。 「人は理解を超えるものや押しつけられたものには、いつだって反抗するものよ。でも理解し、受け入れれば、人は感謝する」と。 理解し受け入れること。それはまさに、『傲慢と抵抗』から、『謙虚と従順』へと導いてくれる道なのだ。それはまた、ほかならぬ愛の道でもある。 アンリ・ボニエ 「序章」より抜粋 |
目 次 |
序文/アンリ・ボニエ |
訳者あとがき |
フィリップとカトリーヌは人生の晩秋にさしかかった老夫婦です。しかし互いにやりがいのある仕事を持ち、多忙ながら充実した日々を送っています。深く愛し合う二人は多くの良き友や愛猫に囲まれ、申しぶんない幸せのなかにいました。そんな二人に突然、不幸が襲いかかります。カトリーヌが癌に侵されたのです。迫りくる死を前に、二人はこれからもずっと一緒に生きていこうと誓います。そして実際、カトリーヌはこの約束を守ります。彼女は死してなお夫とコミュニケーションをとり続け、彼を導き、守り、日々の生活を共にしたのです。 |
著者紹介 |
■ フィリップ・ラグノー(Philippe Ragueneau) ■
1917年、オルレアンに生まれる。フランスのエリート校、高等商業専門学校卒。第二次世界大戦末期、国土解放運動に加わり、フランス解放勲章やレジオンドヌール勲章など多数の勲章を受章。戦後はマスコミの世界で活躍。新聞数紙を創刊し、テレビ局『アンテヌ2』を創設。また長年にわたりドゴールの側近も務める。1976年以降執筆活動に取り組み、国土解放運動やドゴールに関するもの、あるいは猫に関するものなど30冊以上の著書がある。2003年10月、プロヴァンス地方のゴルドにて永逝。
■ 翻訳者・荒川節子 ■
大阪府生まれ。関西学院大学法学部卒。本書は初めての訳書。猫とバッハとフランス語をこよなく愛する関西人。 |
読者の声 |
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